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本日の一冊 万物日本霊長辞典
本田宗一郎と井深大ホンダとソニー、夢と創造の言語化
ホンダとソニーの創業者である2人の人となりと夢と創造を記した書籍を手に入れました。今となっては両社とも世界を代表する企業ですが、その秘密をあらためて垣間見れた気がしました。
技術や予算、環境等の制約ありきではなく、まずこういったものがあったらいいよね〜という目標や目的もしくは夢があり、その達成のためにとにかく現場で行動したのだと理解しました。
また、視野は世界を見ていて、根底には人々の生活をより良くしたいという意志と思考が力強く流れていたので、今の形があるのだと思いました。
創業時の思いや信念、さらにそれを言語化した下記、日本人商人道のゴールドメダリスト、巨頭として流石!とシビれちゃうのであらためて転載しますね。
◆ホンダの「社是」「三つの喜び」「マン島TTレース出場宣言」
社是
わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。
三つの喜び
買う喜び:Hondaの商品やサービスを通じて、お客様の満足にとどまらない、共鳴や感動を覚えていただくことです。
売る喜び:価値ある商品と心のこもった応対・サービスで得られたお客様との信頼関係により、販売やサービスに携わる人が、誇りと喜びを持つことができるということです。
創る喜び:お客様や販売店様に喜んでいただくために、その期待を上回る価値の高い商品やサービスをつくり出すことです。
マン島TTレース出場宣言
わが本田技研創立以来ここに五年有余、画期的飛躍を遂げ得たことは、全従業員努力の結晶として誠に同慶にたえない。
私の幼き頃よりの夢は、自分で製作した自動車で全世界の自動車競争の覇者になることであった。しかし、世界の覇者になる前には、まず企業の安定、精密なる設備、優秀なる設計を要することはもちろんで、この点を主眼としてもっぱら優秀な実用車を国内の需要者に提供することに努めてきたため、オートバイレースには全然力を注ぐ暇もなく今日におよんでいる。
しかし今回、サンパウロ市における国際オートレースの帰朝報告により、欧米諸国の実状をつぶさに知ることができた。私は現実に拘泥せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれ過ぎていたことに気がついた。今や世界はものすごいスピードで進歩しているのである。
しかし逆に、私の年来の着想をもってすれば必ず勝てるという自信が昂然と湧き起こり、持ち前の闘志がこのままでは許さなくなった。
絶対の自信を持てる生産体制も完備した今、まさに好機至る!明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである。
わが本田技研はこの難事業をぜひとも完遂し、日本の機械工業の真価を問い、これを全世界に誇示するまでにしなければならない。わが本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。
ここに私の決意を披瀝し、T・Tレースに出場、優勝するためには、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う。右宣言する。
昭和二十九年三月二十日
本田技研工業株式会社 社長 本田宗一郎 (実際は相棒の藤沢武夫さんが創起した模様です)
◆東京通信工業株式会社(現ソニー)の「設立趣意書」(会社設立の目的、経営方針)
昭和21年1月起草 - 東京通信工業株式会社設立趣意書 - 井深 大
戦時中、私が在任していた日本測定器株式会社において、私と共に新兵器の試作、製作に文字通り寝食を忘れて努力した技術者数名を中心に、真面目な実践力に富んでいる約20名の人たちが、終戦により日本測定器が解散すると同時に集まって、東京通信研究所という名称で、通信機器の研究・製作を開始した。
これは、技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった。戦時中、すべての悪条件のもとに、これらの人たちが孜々(しし)として使命達成に努め、大いなる意義と興味を有する技術的主題に対して、驚くべき情熱と能力を発揮することを実地に経験し、また何がこれらの真剣なる気持を鈍らすものであるかということをつまびらかに知ることができた。
それで、これらの人たちが真に人格的に結合し、堅き協同精神をもって、思う存分、技術・能力を発揮できるような状態に置くことができたら、たとえその人員はわずかで、その施設は乏しくとも、その運営はいかに楽しきものであり、その成果はいかに大であるかを考え、この理想を実現できる構想を種々心の中に描いてきた。
ところが、はからざる終戦は、この夢の実現を促進してくれた。誰誘うともなく志を同じくする者が自然に集まり、新しき日本の発足と軌を同じくしてわれわれは発足した。発足に対する心構えを、今さら喋々(ちょうちょう)する必要もなく、長い間皆の間に自然に培われていた共通の意志に基づいて全く自然に滑り出したのである。
最初は、日本測定器から譲渡してもらったわずかな試験器と、材料部品と、小遣い程度のわずかな資金をもって、できるだけ小さな形態で何とか切り抜けていく計画を立てた。
各人は、その規模がいかに小さくとも、その人的結合の緊密さと確固たる技術をもって行えば、いかなる荒波をも押し切れる自信と大きな希望を持って出発した。斯様(かよう)な小さな規模で出発した所以(ゆえん)は、この国家的大転換期における社会情勢の見透しができず、また、われわれの仕事が社会に理解され利用価値を見出されるまでには、相当の期間を要すると考えたからである。しかるに、実際に動き出してみると、われわれの持つような技術精神や経営方針が、いかに現下の日本にとって緊急欠くべからざる存在であったかを、各方面からの需要の声を通じて、はっきり自覚せしめられたのであった。
それはまず、逓信院、運輸省等の通信に関係ある官庁の活溌な動きに見出された。すなわち、全波受信機の一般への許可、民間放送局の自由化、テレヴィジョン(テレビジョン)試験放送、あるいは戦災通信網の急速なる復興、その綿密膨大なる諸計画の発表等、他の低迷困惑せる諸官庁の中にあって、一人水際立った指導性を示し、一般業者側が逆に牽引されたかの感を呈したのであった。
斯(かか)る動きは、特に過去において逓信院と関係の深かったわれわれに対し、直接の影響を及ぼし、早くも真空管電圧計等の多量註文を見る結果となった。
その他、短時日の間に、この方面より提案された新製品の研究、試作依頼の種目は相当量にのぼる状態である。また、間接的面から言えば、全波受信機の一般許可による影響は終戦後の「ラヂオ(ラジオ)プログラム」に対する新しい興味と共に、ラヂオセットそのものに対する一般の関心を急激に喚起し、戦災によるラヂオセット、電気蓄音機類の大量焼損も相まって、わが社のラヂオサービス部に対する需要を日を追って増加せしめたのである。その他、諸大学、研究所の学究、同じ志を有する良心的企業家等と、特に深い相互扶助的連係を持つわれわれは、この方面よりの優秀部品類に対する多種多彩な要求に当面しつつあるのである。
以上のごとき各方面よりの需要の増大は、われわれに新しい決意を促したのである。すなわち資本と設備を拡充することの必要と意義を痛感したのである。
われわれの心からなる試みが、かくも社会の広範な層に反響を呼び起し、発足より旬日(じゅんじつ)を経ずして新会社設立の気運に向ったことに対し、われわれは言い知れぬ感動を覚える。それは単にわが社の前に赫々(かっかく)たる発展飛躍を約束するばかりでなく、われわれの真摯なる理想が、再建日本の企業のあり方と、図らずも一致したことに対する大なる喜びからである。
会社創立の目的
一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
一、日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
一、戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即時応用
一、諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化
一、無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進
一、戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供
一、新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの徹底化
一、国民科学知識の実際的啓蒙活動
経営方針
一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず
一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する
一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う
一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う
一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る
一、従業員は厳選されたる、かなり少員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限度に発揮せしむ
一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。
これらの文章は正に名文、素晴らしい精神性の発露です。
国が出来てから初めて体験した二度目の敗戦と初めての占領〜そんな、建国以来の最大の危機のときに、当時の彼らは果敢にも同胞の日本人を鼓舞し、世界に対して「復活」の狼煙を事業を通して知らしめたのでした。
天晴れ〜あらためて〜〜〜大感謝、です!
「一つの主題では評論は書けない、二つの主題をぶつけると評論が書ける」(「思考のレッスン」(丸谷才一)で引用された河上徹太郎氏の言葉。)の言葉通り、本田宗一郎論と井深大論をぶつけることで二人の哲学の共通点が浮かび上がってきます。
二人とも挫折を幾度となく経験しています。そこの乗り越え方がサスガ!「転んでもタダでは起きない」、この姿勢には敬服します。
また「人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、一番大切なのは試したりである」「常識は破るためにある」「1%の成功は99%の失敗から成る」(本田)や「大衆のための商品を科学的な開発で」「難しいからこそ我々がやる価値があるのだ」(井深)という名言にも出会い、心奮えます。
今更ながら「夢とロマンを強く持つこと」の重要性が良く分かります。これが創造力を発揮するための"ガソリン"です。
彼らの精神性は今でも生きています〜"ハートに火が着く"のを感じることでしょ〜:)
こういうこと、書くの野暮ですが...現在の日本を代表する企業創業者の方々の人格、精神性、生き方比べたら...まことに戦後の教育を受けた私たち日本人〜劣化しております。
「マネーがゴール」じゃ...ダサイです:)
青いけど、やっぱ、「夢と創造」が人の生きる糧かと。
1980年、アメリカを訪問した井深大と本田宗一郎〜お茶目な笑顔〜:)