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HOLY LIGHT

命の書について

*TAO LABより
さて、先日ご紹介した『ラディエンス・ヒーリング』で予告した『命の書』について〜です。

この文章をまずは転載いたします。

"『いま、生きている人間のほとんどは、死んでいくべきところを自ら想定することなしに死んでいきます。』
『日本の死者のたましいは、行き場も知らず、祈りによっておくられるわけでもない』

今、日本にはこれまでの宗教的世界観とは無縁の、新しい霊界が生まれています。
あらゆる死者は行くべき場所も知らず、また、これまでのどのような祈りや弔いも無効化しているために、どこにも行けず、ただ暗闇の中にいるものがほとんどです。
あなた自身や、あなたの大切な人、尊敬する人の魂が、よきものとして歩むための、行く先を照らす光。
新しい契約の形としての、「命の書」。" written by Mackey

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なるほど...
新約聖書でも「いのちの書」というものが説明されております。引用いたします。

"新約聖書には「いのちの書」について8箇所出てきますが、そのうちの二箇所が子羊、イエスキリストに属する「子羊のいのちの書」と特定してあります。8箇所のうち7箇所が黙示録に出てきます。その名が「いのちの書」に記されている人は、神に属する者で永遠のいのちのある人です。

パウロは共に働いてくれた人たちのことを、その名が命の書に記されている人たち(ピリピ4:3)だと言っています。ここでも「いのちの書」を永遠の救いをもっている人たちの名前を記録した書だとしています。同じように黙示録3:5 には、主を信じる人たちの名前が載せてある「いのちの書」のことが出てきます。 この人たちは地上での生活で試練に打ち勝って、その救いが本物であったことを証明した人たちです。この節(3:5)は、また一度その名前がいのちの書に記されたら、イエスはその名を絶対に消さないと約束されます。もう一度、救いが永遠のものだという教理を証明しています。主イエスは黙示録のこの部分では教会に向けて話しておられますが、ご自分に属する者を御父の前で認めると約束しておられます。逆に、黙示録20:15は「いのちの書」に名前が記されたない人の運命―火の池で永遠を過すーを示しています。

黙示録13:8と21:27には「子羊のいのちの書」が出てきます。子羊イエス.キリストの血で洗い流された人たちのすべての名がそこには記されています。"世界が創造する前からほふられた子羊"はその犠牲によって救われる人たちの名前が記された書を持っておられるのです。彼らこそ聖なる都、新しいエルサレムに入り(黙示録21:10)神と共に永遠に天国に住む人たちなのです。「いのちの書」が子羊を通して永遠のいのちを持つ人たちの名が記されている書なので、「いのちの書」と「子羊のいのちの書」は全く同じものだということが明らかになります。"


「いのちの書」と「命の書」...「名」を記す、というところは一緒です。
とはいえ、この二つは響きは一緒ですが、同じものではなさそうです。

ここでさらに〜その「命の書」登録への窓口から一部転載いたします。

"古代エジプトは、死後の世界があると考え、そこで生きるためには、名前を告げる必要があることを知っていました。
人間のたましいについて、エジプト人が考えたのは、天からくだり、また天に帰るバァーというスピリチュアルな存在と、地上で与えられ死後もその人間と結びつけられているカァーというスピリチュアルな存在から構成されているということでした。
日本でも、たましいのことを魂魄といい、魂の要素と魄の要素があることは知られています。
人間が死んで霊を残す、あるいは、死後の世界があると感じるのが、人類の文化的共通認識なのです。

そして、実はたましいを固定化するのは、その人が生きていたときの名前なのです。

〜中略〜

「最終知識」の最終章に、新しい天国をつくると、私をつかさどる存在が伝えてきたと記されています。そして、この命の書のシステムも伝えられました。命の書に名前を登録された人間のたましいは、死後、「光のなかでいやされ」次の用意をします。
それもまた契約です。名前を記さなければ、たましいというエネルギー体の特定ができません。精神界には、闇のカオスというべき死霊の層がエネルギー的には、たしかに存在しています。放置すれば、死者の霊はそこに行くことになります。
これに対して、命の書に名前を記すということは、その名前を持つたましいが、これからも進化と成長を続けることの約束です。
この宇宙のはじまりの前と終わりの後をつなぐ、光の道すじに、それは用意されています。"


とのこと。

さてさて〜「こりゃ〜トンデモ?」「あたらしい宗教??ヤバくない???」「????」...
あなたはどう感じましたか?

この手、説明したり、熱く語ったりすればするほど、反って怪しまれます〜:)
さらに有限の存在のわたしたちは脳みそ使って理解する上で限界が生じます。カタチなきもの、視えないもの、次元や波動が違うもの、無限なら〜なおさらです。
でも、理解出来なくとも、なにか感じて受け入れたり、その結果、行動起こしたりするということも生じるのが〜オモシロイ:)ですね、人の生。

私はどういうわけか?????この書の存在を知ってから「理解納得」ではなく、「オモロイ」「なるほど!」と感じ、惹かれ、行動=登録〜私自身とともに一族家族、お世話になった方、尊敬する方等々、いままでに40名ほどの方を登録させていただきました。
この「命の書」...引き続き、GO-ENあった方へ〜私自身のその方への感謝の印として登録していきます。

で、この「命の書」とは何だったのか?肉体離れたときに、それ、ちゃんとに「理解」知りたいなぁと意識しています。
それも含め...ホント、だから死ぬの楽しみ:)なんです、どうなっているのか、死後の世界?〜と共に、だからこそ、今、生きていること=毎日が生活観光も同じように、楽したいというより一生懸命楽しみたいと決心しています。

新約聖書の「いのちの書」に関係する、こんなイラスト見つけました〜「命の書」は「宗教」ではないと理解してますが、「信じる」という波動は同じかと思いますのでご参考までに。
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