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HOLY LIGHT

LOVE&SERVE マートルヴァーニ日本版 2007-8 VOL4 から 『光の言の葉』抜粋引用

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あらためてこのアンマの冊子「マートルヴァー二」再読しています。
Vol3に続きVOL4より。
なお、個人的な感想はそれぞれのリンクに、また、そこのコメント欄にも〜ご興味ある方は飛んでご笑覧ください。


*2007-06-VOL3-NO1
『アンマにとって、男女は平等です。
両性は鳥の二翼のようなものです。「右目と左目とどちが大切か?」と聞かれたら、両目が等しく大切だと答えるでしょう。男女の社会的地位についても、同じです。男性には女性に出来ないことが出来るかもかもしれませんが、女性にも、男性が出来ない多くのことが出来ます。

つまり、人は自分の社会における位置を理解しなくてはいけません。お互いに、相手を助けるように努力すべきです。
ここではじめて、自然の調和が保たれます。女性と男性の強さが補完し合ったときに、双方ともに満ち足ります。

実際のところ、男性は女性の一部です。赤ん坊はみな子宮から来ます。母親の肉体の一部であるのにひきかえ、誕生に関して云えば、男性の貢献は種の提供だけです。彼らにとっては一瞬の出来事でしかありません。
けれども女性はその新しい生命を受けとり、カラダの一部に変えていきます。イノチが育まれる環境を整え、そうしてやがて新生児を世に送ります。女性は母です。
女性の膝まくらで横になりたいという強いあこがれがどの男性にも潜んでいますが、これが男性が女性に魅かれる密かな理由です。男性は女性の中で肉体を得たのです。母性を否定することなど出来るでしょうか。
カミは男性か女性かという質問をしたとしましょう。答えは、男性でも女性でもなく、「しかる存在」となるでしょう。

それでもあえてカミに性別をつけるとすれば、カミは男性というより女性に近いと云わざるを得ません。
なぜなら、男性はすべての女性の中にいるというだけではなく、母性という神性の資質は男性よりも女性の中に顕著に現れているからです。
そうではあっても、女性は自分の中にある強さを、より目覚めさせていかなければいけません。

これは今の時代に求められる大きな課題のひとつです。女性の力が十二分に花開くのは、現代の一般的な教育だけではだめで、霊性の叡智もえなければなりません。

〜中略〜

全世界が分裂や違いといったもの、区別していく考え方などに巻き込まれてしまっています。カミの面前で自分たちの弱さをさらけ出すほど愚かではない、と云うプライドを人類はもてないでしょうか。』
-English Matruvani Feb 07-


*2007-09-VOL3-NO2
フィルムディレクターのマイケルトビアス氏のアンマのインタビューから抜粋

トビアス
『クリシュナとは?クリシュナバーヴァーとは何なのでしょうか?』

アンマ
『クリシュナの人生は、至福の遊びと無執着を現してみせたものです。
彼の微笑みは、この世のメッセージです。
いかなる状況下でも、微笑みが彼の顔から消え去ったことはありませんでした。人が褒めそやしても、彼の表情は常に同じでした。
牛飼いとして暮らしていたときも、カムサを殺し、悪を成敗したときも、王族の集まりでカウラヴァの人びとに不名誉な扱いを受けたときも、身内の者たちを闘いに向かわせ、殺し合いをさせたときも、微笑みを浮かべていたはずです。
この世は舞台で、私たち一人ひとりはその舞台で役を演じるために、ここにいます。これがクリシュナの人生から学ぶことです。劇の中でいくつかの違った役を演じるにしても、本人はそのまま同じです。

同じように、私たちもさまざまな状況でさまざまな言動を示しながらも、自分は真の自己なのだとわかっているべきです。
これが霊性です。これがクリシュナから学ぶことの出来るものです。

〜中略〜

クリシュナの人生をみると、自分のために何一つしなかったことがわかります。
それだけではなく「私はカミだ」と声高に言うこともありませんでした。何一つ執着していないからといって、いかなる責任からも逃れることはありませんでした。

牛飼いや放牧の子牛たちと遊び、バンダヴァの使者を果たし、御者の役を演じました。
彼は人生の一瞬一瞬を、他者のために捧げたのです。

このようにして彼は私たちに、自分の義務をどのように果たすべきかを示してみせたのです。
彼は一秒たりとも無駄にしませんでした。
彼はアルジュナに「私は明らかに、この三界において得るべきものは何一つない。しかしながら、私の義務を果たすことに絶えず従事している」と告げました。

彼の生き方を観て、クリシュナは世間に執着していたのではないかと思うかも知れませんが、しかし彼は世の中のことに何一つ執着していませんでした。

〜中略〜

私たちは人生で異なるいくつかの役割をとらなければならない。けれども自分はそういった役割の、どれでもないことをわかっているべきです。
人はアンマにさまざまなバーヴァを観ます。けれどのアンマはたった一つのバーヴァしか持っていません。
それは「私は真の自己である=アートマバーヴァ」というバーヴァです。

それだけなのです。』


*2007-12-VOL3-NO3
アンマと学生との対話

『アンマ、瞑想はどのようにするのでしょう?』

『好きな神や女神の小さな絵を自分の前に置きなさい。座ってその絵をしばらく見つめなさい。
次に目を閉じている間もその姿が見え続けるようにしなさい。姿が消えてしまうなら、もう一度置いてある絵を見、それから目を閉じなさい。
自分の愛する神に話しかけてみましょう。

「母よ、私を捨ててどこかに行かないでください。私のハートに来て下さい。いつでもその美しい姿を見ていられるようにして下さい。」

などと語りかけます。

愛する神を抱きしめて、泣きなさい。信心を持ってこのようなことを繰り返すならば、あなたたちが瞑想する対象はあなたの前に現れてくれるでしょう。
瞑想は小さな子どもにもいいのです。子どもの知性はより明確になり、記憶力も増加するので、学習がはかどります。

子どもたちは皆*サンニャーシンになるべきだ、などとは言いません。
けれど、至福に満ちた人生にしなさい。真の自己の本質を考えていけば、至福の秘密を理解出来るでしょう。
マインドの波は静まります。すべてが、あなたの中にあります。

信心があるなら、ここに到れるるでしょう。世のものごとから得られる幸せは、私たちの内面で得る至福の、ごくごく微量のかけらしかないのです。
水道のフィルターが水の不純物を吸い取るのと同じように、瞑想というフィルターで自分の不純物を吸い取らなければなりません。

昔、森は外にありました。今、かなりの森が切り開かれたので、森は私たちの中に出来ました。
昔、動物たちは外にいましたが、彼らもまた、今では私たちの中です。
取り除かれなければならないのはマインドにある汚れ、マインドのジャングルと野獣たちです。』

『マインドから汚れをぬぐい取るにはどうすればよいですか?』

『マインドが純粋になるには、神への愛が育まれなくてはなりません。徳も高められなくてはなりません。

神に近づくうえでの最大の障害が、自己本位でいることです。この自己中心の考え方は、周囲への思いやりをもったときに自然に消えていきます。
真水を塩水に加え続けるうちに、水が塩辛くなくなるように、善いことを思い続けるうちに、悪い傾向が消えていきます。
どれほどの貧しい人たちが住む場所も、着るものも、食べものも適切な医療もなく苦しんでいるでしょうか?
私たちが彼らへの思いやりをもてたときに、自己中心の考え方はなくなっていきます...』
Awaken Children!1p.89より

*2008-03-VOL3-NO4
欠品です。
どなたかお持ちの方いらっしゃいましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします

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