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本日の一冊
『出雲王国と天皇政権 -伝承の日本史-』 出雲とは?伊勢とどう違うの??国譲りに繋がるもう一つの歴史。
*TAO LABより
『出雲王国と天皇政権 -伝承の日本史-』 斎木雪州:著
当初『出雲王国とヤマト政権 伝承の日本史 富士林雅樹:著』というタイトル+著者で発売されていましたが、途中で現タイトル+著者に変更されています。内容自体は全く同じものだそうです。
前著者の息子さんが現著者の模様です〜どうして変更になったのか?不明です。
この著作、ネットでの情報や画像が新旧入り交じっており、、、また「雪州」が他の書籍では「雲州」となってたりしており...
これはちょい、困りますね...ですのであえて、こちらにこの件、アップしました、ご参考までに。
さて、「出雲と伊勢」、正史ともいえる古事記と日本書紀に書かれている「国譲り」に至る物語=歴史を深掘りしたく、手にしました。
ある意味「正史」は勝者の歴史です。ですので、必ずしも「事実」ではなく、また「真実」は立場が変わると違ったことになるのも「絶対」ではなく「相対」なこの次元の常かと。
「大和朝廷」とは?それとともに歩んでいる「天皇」の成り立ちとは?「今」に通じる母国「日本」とは?そんな好奇心を、ジャッチではなく、自分なりのパズル創るかのようにさまざまなパーツ集め、探求を楽しんでおります。
出版社よりの内容紹介
「日本列島の夜明けから、ヤマト政権まで」を述べる。
最初に南九州の旧石器人の生活を紹介する。北日本には、アイヌ民族が住みつき、ブリヤート人も渡来した。
土器や土女神の縄文文化が栄えた。次にインドからシベリア経由で、クナ族が津軽に上陸した。かれらは日本海沿岸を通り、島根半島を中心に出雲王国を造った 。
この王国で日本語が成立した。出雲族はヤマトに進出し、ヤマト政権を造った。
紀元前三世紀末に、シナから徐福集団が北九州に渡来し、吉野ヶ里中心に新土器文化を広めた。かれらは物部族と呼ばれたが、その後、四国南方沿岸と瀬戸内海を通って、ヤマト東征を二回行った。
目次
第1章 縄文人の渡来
第2章 クナ族の渡来
第3章 出雲王国の成立
第4章 徐福集団の渡来
第5章 出雲王国の繁栄
第6章 武御名方と五十猛の移住
第7章 徐福の吉野ヶ里文化
第8章 ヤマト政権の成立
第9章 ヒボコ勢の渡来とハリマ侵略
第10章 第一次モノノベ東征と名草戸畔
第11章 大彦のクナト国
第12章 フトニ大君のキビ王国
第13章 モモソ姫の太田遺跡
〜日本の歴史についての口伝での出雲族についての話。口伝で現在まで伝えられていることが記されています。
真実はどうであるかは不明ですが、これが本当なら、日本の歴史について、とてももやもやしていたことが、そういうことだったのか、と納得できることが多々ありました。いろいろと衝撃でした。
果たして真相は如何に・・・です。
「もやもや」とは〜「和」と云うのはさまざまな多様性を「ひとつ」にするのではなく、バランス良くミックス、それぞれの多様性を消し去るのではなく、活かすことは活かすこと。それが「調和」という「和」の状態であり、それがシンの「平和」に通じる鍵だと理解しているからです。
これ、頭では解っていてもなかなかそれを実行すること、また、それがフツーになること、その道の途上なのが私たち人類の「今」だと思います。殺し合い虐殺の「戦争」で片を付け、「似非平和」を保つのが「今」の万物の霊長の姿です。
とはいえ、「調和」の、そのひな形とも言える出来事が母国が「日本」へと成る過程で、何度も起こり、実現していること。
地球人類イッシンはそんな「調和体験」をしている当時の人びとの精神性生き方+母国の歴史から学び、その事実をあらためて実感し、さらに外に、世界に向け、伝えること。
地球丸ごと「シン・平和」に一歩でもまずは個人の意識がシンカし、それが共鳴共振し、拡がり繋がり、その結果からしか「シン・平和」は実しないのではないかと〜あらためて確信させてもらいました。
目覚めよ!日本 目覚めよ!!日本人 目覚めよ!!!私たち。