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青山堂運歩 by 川島陽一

空海とプロティノスと荘子と ―ユニヴァーサル・インテリジェンスをめぐる旅―

空海の主著『秘密曼荼羅十住心論』の内容を要約した『秘蔵宝鑰』では、十段階に分けたたましいの上昇体験を「驚覚開示」とよんでいる。
日常のわたしたちの意識にとり、超越の世界を隠しているヴェールが開かれることは何より驚きに満ちていよう。この上昇の諸段階は、さまざまな菩薩のイマージュにより表現される。第六段階は弥勒、第七は文殊、第八は観音(アヴァロキテシュバラ)、第九は普賢(サマンタバドラ)といった具合に。この背景には、空海自身の修行者としての神秘体験があった。

彼は『吽字義(うんじぎ)』の中でこう述べている。

「もし摩字の吾我門(ごがもん)に入りぬれば、之に諸法を摂(しょう)するに、「(いちいち)の法として該(か)ねざること無し。故(かかるがゆえ)に、『経』に云く、我、則(すなわ)ち法界、我、則ち法身、我、則ち大日如来、我、、則ち金剛薩埵(こんごうさった)、我、則ち一切仏、我、則ち一切菩薩、我、則ち縁覚(えんがく)、我、則ち声聞、我、則ち大自在天、我、則ち梵天、我、則ち帝釈、乃至、則ち天龍鬼神(てんりゅうきじん)八部衆(はちぶしゅう)等なり。一切の有情(うじょう)・非情は、摩字にあらざること無し。是則ち、一にして能く多なり。小にして大を含(がん)す。故に円融の実義と名づく。」
 
訳 「もし摩字を実体的自我と解すならば、この摩字にあらゆる存在をその中に、一つとして含まないものはない。
したがって、密教の教えでは、われは、すなわちさとりの世界であり、われは、すなわちさとりの当体である仏身であり、われは、すなわち大日如来であり、われは、すなわち金剛薩埵であり、われは、すなわち仏であり、われは、すなわちあらゆる菩薩であり、われは、すなわち独力で因縁の理をさとるもの(縁覚)であり、われは、すなわち直接仏の教えを開いてさとるもの(声聞)であり、われは、すなわち大自在天であり、われは、すなわち梵天であり、われは、すなわち帝釈天であり、以下同様に、われは、すなわち天や龍や鬼神などの八部の仏教の守護者などであるとするのである。
このように、あらゆる生きとし生けるものは、摩字でないものはないのである。この摩字は、一であってしかも同時に多である。小であってしかも大をも含み込むのである。
したがって、たがいに完全に融けあうこと(円融)という意義である。」

空海の内的世界におけるこの神秘体験を、「入我我入」という。
仏の力(真理)が自分の中に入り、自分は仏の中に入る、という意味である。認識論から見れば、根源の力(ユニヴァーサル・インテリジェンス)が下降し、流出してくる体験としての「向下門(こうげもん)」を意味する。
その理論的構造は、新プラトン主義の哲学としての、プロティノスの哲学を想起させる。プロティノス自身が生涯に何度か(確か、三、四回と記憶する・筆者注)体験したという、見神体験に現されている。上昇的認識であるところの、脱我体験の道である。
 
「まさにここから、アリストテレスを越えてプラトンに帰るというプロティノス的立場の歴史性が生じて来る。しかもアリストテレスを飛び越し、あるいは迂回するのではなく、あくまでアリストテレスを通り、アリストテレスが後世に贈った偉大な遺産ともいうべき形而上学を充分に活用しつつ、それを足下に踏まえてプラトン的「善」にもう一度還行しようとする。かくてプロティノスの神秘哲学は本質的にプラトニズムであり、いわばプラトン的神秘主義の自己展開でありながら、かの宇宙的規模を有するアリストテレス形而上学を通過することによって、おのずから全宇宙にわたる雄大な存在論体系を形成するのである。」
(『神秘哲学』井筒俊彦全集第二巻第四章プロティノスの神秘哲学p452)

ユニヴァーサル・インテリジェンスの核を叙してあまりなしとすべきであろう。

さらに井筒は「こうして我々はギリシア哲学上に於けるプロティノスの歴史的位置をほぼ正確に決定することができるであろう。それはプラトンとアリストテレスをつなぐギリシア哲学主流の線上に、両者の思想が脱自的観照生活の一点を通じて交叉するところに存在する。」と論ずる。

プロティノスの神秘主義は、著しく内観的であり、霊魂のレベルにおいて、空海とも荘子とも相通ずる。
ユニヴァーサル・インテリジェンスの観点からも、徹底された雄大な存在論体系であるといえよう。

見神体験のもう一方は、究極の「一者(ト・ヘン)」から「叡知(ヌース)」、「心魂(プシュケ)」をへて「質料(ヒュレー)」にまで下ってくる、流出の道である。

魂は全宇宙に遍満する無限の生命の主体である。
あらゆるものが生きており、あらゆるものが魂を持っている。

プロティノスはいう。
「全宇宙に於いて、全てのものはそれぞれの仕方で生きている。ところが我々は、あるものが我々の感覚に訴えるような運動を宇宙から受けている場合、そのものは生きていないと考える。つまりそれは、その個物の生命が我々には捉えられないということである。のみならず、生きているということが我々の感覚ではっきり分かる物でも、実は我々には感覚できないような仕方で生きている多のものから合成されているのであり、それら全てのものがそういう生物の生にたいして驚嘆すべき作用を及ぼしているのである。(例えば)人間は、彼を内から動かす内在的諸能力が全然魂を欠くものであったとしたならば、これほど自由自在に動くことはできないであろう。それどころか、宇宙それ自体も、もしその中に存在する各々のものがそれぞれ固有の生によって生きているのでなかったならば、生命のない死物と化してしまうほかはないであろう」(エンネアデスⅣ4、36、431)

一切者が生きており、従って一切者が魂をもつ故に、魂が観照することを意味する。全宇宙が三昧境にある、ということを意味するのだ。無が真に無に徹しきるとき、かえって自らの外に出て自らを分与して存在界を創造せずにはいられない。

いずれにしても、紀元三世紀のアレキサンドリアと九世紀の日本に、歴史・文化の全く異なる場所に、類似した構造を見出すことに驚くとともに、人間の魂の構造の普遍性を想わずにはいられない。

井筒俊彦は、彼の意味分節理論において、コトバの深層を見る。因みに井筒は「コトバ」とカタカナで書く。通常の言葉、と異なる出来事としての「コトバ」の視点からの世界の存在を想定しているからである。真言密教は、コトバの常識的、表層的構造には目を向けない。主に、その深層構造を見るのだ。井筒はいう、「『真言』という観念を、一切の密教的・宗教的色付けを離れて、純粋に哲学的、あるいは存在論的な一般命題として提示する」
(「意味分節理論と空海」『意味の深みへ』岩波書店二四二頁)。

井筒が注目するのは、「コトバを超えた領域」」である。真言密教においては、「コトバを超えた」領域を、次元の異なるコトバで語り得よう。それは、まことのコトバとしての「真言」である。「コトバを超えた領域」は「通常のコトバ」では語ることができない。井筒は、「コトバを絶対的に超えた(と、顕教が考える)事態を、(密教では)コトバで語ることができる、あるいは、そのような力をもったコトバが、密教的体験としては成立しうる」(同、二四六頁)。

わたしたち人間が、悟りの境地を言語化するのではない。
「悟りの世界そのもの」が、自らを、言語化するのだ。真言密教によると「法身(大日如来)と表象する存在そのものが、「特殊なコトバ」である、とする。つまり、「法身が説法である」のだ。(神がコトバを語るのではない神がコトバであるのだ。-『新約聖書』「ヨハネによる福音書第一章」「はじめにことばがあった。・・・ことばは神であったのだ」-
 
存在の絶対的根源として、荘子の「天籟(てんらい)」、を見てみよう。音もなく吹き抜ける天の風。この天の風が地上を吹き渡ると、木々はざわめき、いたるところに「声」が起こる。大木には無数の穴が開いており、そこに風が当たると、すべての穴が違った音を出す。発する声は様々だが、すべての声が皆、音のない天の風によって呼び起されたものである。しかし、「天籟」それ自体は人の耳には聞こえない。「天籟(宇宙の存在エネルギーとしてのコトバ)」は、絶対無分節であるから、そのままではコトバとして認知されない。しかし、空海はそれを「コトバ」と見るのだ。「五大にみな響きあり、十界に言語を具す」(『声字実相義』)と。
以下経文を詳しく見て、本稿のまとめとしよう。

「頌(じゅ)に曰く、
 五大(ごだい)に皆(みな)響き有り
 十界(じっかい)に言語(ごんご)を具す
 六塵悉く文字なり
 法身は是れ実相なり」

「五大というのは、『即身成仏義』のなかに解釈されています。五種の存在要素、一に地大、二に水大、三に火大、四に風大、五に空大のことです。この五大には、顕教と密教から見た二通りの理解があり、顕教の五大とは、『倶舎論(くしゃろん)』や『成唯識論(じょうゆいしきろん)』などに見られる、一般の解釈のことである。密教の五大というのは、梵字(あ・ば・ら・か・きゃ)、金剛界・胎蔵界の五仏、あるいは曼荼羅のもろもろの尊格のことである。五大の意義については『即身成仏義』の中で叙した通りです。以上の顕教・密教の五大に、みなことごとく音声の響きをそなえている。あらゆる音声は五大と別なものではない。すなわち五大は「声」の本質であり、音響は、そのはたらきです。したがって「五種の存在要素(五大)にはみな響きがある」というのです。」

コトバの響きあう世界は、根源の力(ユニヴァーサル・インテリジェンス)をめぐり、常にわたしたちを照らしてくれる。
すべての事物・事象は、みな独自性を保ちながら、互いに溶け合い、相即相入する、いわば「鏡」が鏡を映し出すかの如く、その真相・深層を開示するのである。

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*TAO LABより
宇宙の働き・叡智、宇宙の秩序が自然修復力とつながっている...あらためて、ユニバーサル・インテリジェンス(Universal Intelligence)とは?

人類、地球を包んでいる宇宙の働き・叡智、宇宙の秩序。
この宇宙の働き・叡智、宇宙の秩序とは、宇宙空間に存在するすべてのものの根源であり、その法則をコントロールしているのです。
これらに含まれるものとして、例えば生命、地球の公転自転、大気、天気などが挙げられます。
このような、宇宙の現象はバランスが保たれるように、法則に従って方向づけられています。

人体は、これに対して、先天的知能 (Innate Intelligence)にコントロールされている、小宇宙だと言えます。
宇宙創造のエネルギーをユニバーサル・インテリジェンスと呼び、自然治癒力をイネイト・インテリジェンス(内なる智慧・叡智)と呼んでいます。
イネイト・インテリジェンスは誰にでも平等に備わっているもので、身体の機能を常に正常な状態に保とうとする働きのことです。

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