MAGAZINEマガジン

連載

本日の一枚

ニューオリンズとニューミュージックの融合〜70年代のゴキゲンなコラボの一枚『The Smile of Life』

91CGxziWOL._AC_SL1500_-480x480.jpg
The Smile of Life / Ronnie Barron

*TAO LABより
1978年に細野晴臣と久保田麻琴が共同プロデュースする形で日本独自にリリースされた彼のセカンド・ソロ・アルバム。

ロニー・バロンは、ポール・バタフィールドのベター・デイズのメンバーで、1960年代からソニー&シェール、キャンド・ヒート、ドクター・ジョン、ライ・クーダー、トニー・ジョー・ホワイトなどたくさんのアーティストをバックアップしてきたニューオーリンズ出身の腕ききキーボード・プレイヤー。

そんな彼が久保田麻琴と夕焼け楽団のアルバム『ディキシー・フィーバー』と『ラッキー・オールド・サン』への参加をきっかけに、なんと東京で自身のレコーディングを行なった、1977年のこと。
で、翌1978年1月、本作『スマイル・オヴ・ライフ』が発売された。

収録されている全11曲中、4曲はバロン本人のプロデュースの下、盟友ドクター・ジョンをはじめ、アート・ネヴィル、ジョージ・ポーターJr.、レオ・ノセンテリ、ジョー"シガブー"モデリストらザ・ミーターズの面々をバックに1976年、ニューオーリンズで録音された音源。
残る7曲はハリー&マックこと細野/久保田がプロデュースした東京レコーディング。細野晴臣を筆頭に、林立夫、上原裕、恩蔵隆、鈴木茂、伊藤銀次、井上ケン一、斉藤ノブ、サンディーらティン・パン・アレー系、ナイアガラ系、夕焼け楽団系が勢揃いしてバックアップしていた。ストリングス・アレンジには林哲司、萩田光雄。

この日本で録音、産まれたコラボ作品。
ニューオーリンズと東京を架橋する奥深いサウンドは今こそ聞くべき作品。

個人的に1975年から1977年の日本語脳から産み出された「ニューミュージック」という〜日本のミュージシャン達がそれまでの古今東西の音楽を消化した上で産みだしたメイド・イン・ジャパンの心地よいバイブレーションが大好物です。それもひとつの「和」という波動かと。

思うにそのバイブレーションにロニーさん、感電したかと:)流石のアンテナです。

その期間はちょうど玉川学園高等部時代と重なります。野郎ばっかで80人ほど、共同生活していたあの時代...

で、それから約半世紀...その音色音波音霊が今、世界に発見され、ミュージックフリークたちを唸らせている〜〜〜そんな嬉しいことはございません。

MV5BNmExNmI2YzMtZTg5Ny00YWNjLTk4YzktMTIwNTdkMzk4OWYxXkEyXkFqcGdeQXVyMjE5MzM3MjA@._V1_.jpg

NEXT

PAGE TOP