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青山堂運歩 by 川島陽一

時々刻々とは何か

整体院でははじめに正面及び側面からの姿勢を見させていただく。見るべき着目点として、

一、踝を基準点として耳の穴の位置を前後何センチかを測ります。
二、耳の穴の位置から肩の中心点までの位置を何センチか測ります。

一は身体全体の前傾を見、二は頸椎の彎曲を見ます。

三、身長を測ります。

以上は自然体の観察ですが、次にベッドに上向きで寝ていただき、盆の窪(後頭部から首の後ろにかけてある、少しくぼんだ部分)の少し下、首の骨の左右を触ります。
その後約五分ほど、身体を、所定の枕に横向きにゆだね(カイロプラクティック用語で、「サイドポスチャー」)ます。直後に姿勢を見ると、一の踝から耳の穴の位置の差がなくなり、二の耳の穴と肩の中心点の差もなくなり、体の重心は安定し、頸椎は、後彎あるいはストレートから、前彎へと移行します。
これらの変化はどうして起きるのか、クライアントさんは皆驚かれますが、それは整体院では日々起きていることです。 

世界は刻々に生まれ、現出している。全存在世界は、時々刻々、新しい。
この創造の絶え間のないことを、道元は、「有時経歴(うじきょうりゃく)」と呼ぶ。
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「有時(うじ)」巻を見てみよう、

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり。有はみな時なり。丈六金身(じょうろくこんじん)これ時なり、時なるがゆえに時の荘厳光明(しょうごんこうみょう)あり。いまの一二時に習学すべし、三頭八臀これ時なり、時なるがゆえにいまの一二時に一如なるべし。一二時の長遠短捉、いまだ度量せずといえども、これを一二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著(ぎちゃ)せざれども、しれるにあらず。

訳)
ここでいう「有時」については、時はすでに有であり、有はみな時である。
一丈六尺の円満具足の金色の仏身は、時であるから、時としての光り輝きがある。このことを、今この一二時に学ぶがよい。三つの頭に八本の腕を持つ憤怒の形相の不動明王も時である。時であるから、今この一二時と等しい。常人は、一二時の長さや速さについていまだ考慮していないにもかかわらず、これを漠然と一二時といっている。時が流れ行くというイメージが鮮やかなので、常人はそれを疑いもしない。疑わないけれども、時について正しく知っているわけではないのだ。

道元は「有時」を単なる「或る時」ではなく、時と存在との一体性を表す言葉として、事柄の本来的なありようとして用いる。
さらに道元は、常人の時間観念の「或る時」とは異なることを述べる、

しかあるを、仏法をならはざる凡夫(ぼんぷ)の時節にあらゆる見解は。有時のことばをきくにおもわく、あるときは三頭八臀となれりき、あるこきは丈六八尺となれりき、たとえば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなりと、いまはその山河たとひあるらめども、われすぎきたりて、いま主殿朱楼に処せり、山河とわれと、天と地となりとおもふ。
しかあれども、道理この一条のみにあらず、いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし、われすでにあり、時さるべからず。

訳)そうではあるが、仏法に親しんでいない常人であったときに持っていた考え方では、有時という言葉を聞いて、或る時は三つの頭に八本の腕を持つ憤怒の形相の不動明王になり、また或る時は一丈六尺の円満具足の金色の仏身になったと考える。たとえば、河を過ぎ、山を過ぎたような場合、今その山や河は、どこかにはあるだろうが、自分はそれらを過ぎて、玉に飾られた朱塗りの宮殿にいるのだから、山河と私とは天と地ほどの隔たったものだと思ってしまう。
しかしながら、これだけが道理ではない。ここでいう山に登り河を渡った時に「自己」があった。自己に時があるのである。自己はすでにあるのだから、時もすでにあるのだ。

私たちは、ここに、時間の自己創出、存在の自己創造を見る.それは、忽然と現れる。時間が存在として、存在が時間として、時間・即・存在、時即有の忽然生起を見る。

イスラーム哲学の原像』(岩波新書)の中で井筒俊彦は自身のエルサレム大学におけるイスラーム神秘主義の構造を語った講演を聴いたゲルショム・ショーレム(ユダヤ神秘主義カッバーラーの世界的権威)夫人の感想を引用し、イスラーム神秘主義とユダヤ神秘主義の共通性を論ずる。カイロプラクティックの創始者、ダニエル・デヴィッド・パーマーのユダヤ神秘主義の痕跡は、わたくしが常々お話ししているところである。

コスモスとアンチコスモス』(岩波文庫)Ⅱ創造不断)の中で井筒はこういう、

「こうして、イブヌ・ル・アラビー(イスラーム神秘主義)のような観想主体の目には、あらゆるものが流動化されて現われる。そしてこの存在流動性に働きが、時々刻々に現成する「現在」一念のつらなりのリズムによって流動していくのだ。イブヌ・ル・アラビーの構想する"新創造"すなわち"創造不断"とは、およそこのようなものだったのである。」

「創造不断」、時々刻々と新しく創造される世界、道元の引く太陽山楷(ざんかい)和尚の「青山常運歩」という一句を私は憶う。そして、それを展開した道元の言葉、

「青山の運歩は、其疾如風(ごしつにょふう)よりもすみやかなれども、山中人は不覚不知なりー山外人(さんげにん)は不覚不知なり。山をみる眼目(がんもく)あらざる人は、不覚不知、不見不聞、這箇(しゃこ)道理なり」と(『山水経』)。休みなく、山は歩いている。いや、その歩みは、疾風よりもっと早い。山の中にいて、山とともに歩いている人は、それを意識しない。彼の内的リズム(taqallub)が山のリズム(taqallub)と完全に一つになっているからだ。山の外にいる人も、山の歩みに気付かない。しかし、同じ「不覚不知」でも、「山外人」の「不覚不知」は、「山中人」のそれとは根本的に違う。山の歩みに彼が気付かないのは、彼が山の外にいて、外から山を見ているからだ。山を己の外に眺めている人には、山の動きがわからない。山は不変不動だ、と彼は思っている。山を見る目をもたないこのような人にとって、山が歩くとは、わけのわからぬ妄言にすぎない。」

山が歩く、とは、山が流れる、とは、道元がとらえたところの「有時」とは、すべてのものが流動し、脈動する時々刻々の不断の創造=「ユニヴァーサル・インテリジェンス」の世界であったのだ。

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