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TRIP*CLIP
高度成長時代のゴミ捨て場から今ではゴミ焼却場の余熱を利用して運営されている〜 "夢の島熱帯植館" 〜
*TAO LABより
隣接する新江東清掃工場の余高温水を利用しているこちら〜『夢の島熱帯植物館』1988年に開設...そのタイミングで訪ね、またその後、何度かこの植物園には遊びに来ています。
◆ 夢の島熱帯植物館
〒136-0081 東京都江東区夢の島2-1-2
TEL:03-3522-0281
開園時間:9時30分~17時(入館は16時までとなります)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日) 12月29日~1月3日
入場料
一 般〜250円
65歳以上(身分証をお持ちください)〜120円
中学生(都外からお越しの方)〜100円
中学生(都内在住もしくは在学)〜無 料
小学生以下〜無 料
「夢の島」というネーミングで大部分を夢の島公園が占めるている現在、その昔、この名前とは裏腹にここはゴミの埋め立て地でした。
戦前の1938年(昭和13年)、東京市の「東京市飛行場」建設のために東京湾の埋め立てが開始されたのが夢の島の始まりで、当時としては世界最大級の飛行場となる計画であった。
しかし、日中戦争に伴い工事用電力の供給設備資材を確保できず、完成を見ぬまま1941年(昭和16年)に工事は中止された。
戦後、残された埋立地は「夢の島海水浴場」として整備され、「夢の島」という名前がこのときにつけられました。
しかし、台風被害などにより海水浴場は3年で閉鎖され、1950年代の高度成長期には東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をゴミの最終処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月よりゴミの埋め立てが開始されたとのこと。
1961年の映像
【62年前の東京のゴミ事情】
1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風に乗って、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し大きな被害をもたらしました。
夢の島の南側に位置する南砂町の小学校ではハエ取りが放課後の日課となるという笑えないお話...東京都と江東区による懸命な消毒作業が行われたが、抜本的な解決には至らず、警視庁・東京消防庁・自衛隊の協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行されました。
【ハエ騒動記】
イヤハヤ〜凄い...当時の子供も大人もご苦労様です!
その後、1967年(昭和42年)にはゴミの埋め立てが終了しました。
埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、夢の島公園が開園した。その後は整備が進み「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなり、結果、夢の島地区のほぼ全域が公園で占められています。
夢の島公園は東京都内有数の敷地面積(43ha)を誇り、東京湾に浮かぶ緑の島の様相を呈しています。
住所は夢の島1丁目から夢の島3丁目と定められていますが、世帯数0世帯、人口0人のエリアで事業所が13あり、254名がここで働いております。
ゴミの島が緑の島に...とはいえ、景色はやはり人工的無機質でもっとナチュラルな感じになったら最高なのですが...