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TRIP*CLIP 本日の一本
平安時代...陰陽師・あの世とこの世・結界
『アニメ 陰陽師』2023年
*TAO LABより
ちょうど11月後半より始まった上記のアニメ、見始めておりました。
「怨霊から神様へ〜この秋、あらためて日本三大怨霊にまつわる場所を訪ねてました。」と対になるこちらを今回はアップいたします。
江戸時代と共に平安時代、興味深く。「平安」というコトダマ・オトダマ持つ時代の...怨霊の物語と共に陰陽師〜結界という存在、あらためて辿りたく。
三大怨霊の二つを訪ねた先日の時空を超えた京都の旅、それらと共に訪ねたのはこちら〜
この時の足はレンタルで借りた自転車です〜京都、自転車、大変便利ですね〜:)
御所を抜け、護王神社へ。
護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公をお祀りしています。
確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。
江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。
明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。
そして、こちらから、ここへ、一条戻橋。
↑この世からあの世の眺め
↓あの世からこの世の眺め
...どういうわけかあの世のほうが明るかったです〜:)今の時代を現しているのかな???
一条戻橋は、京都市上京区の、堀川に架けられている一条通の橋です。その歴史は大変深く、平安京造営に伴って造られたとされています。
平安期に活躍していた漢学者・三善清行が亡くなり、彼を納めた棺がちょうど土御門橋を差し掛かった頃、清行の八男・浄蔵が駆けつけた。修行に出ていた浄蔵は父に別れを告げられなかったことを嘆き悲しみ、どうか息を吹き返して欲しいと願った。すると、その願いが届けられたのか、なんと清行があの世から息を吹き返した...あの世とこの世を繋ぐ橋という意味もあってか、戦時中は「無事に家に帰ってこれますように」という願いをこめて、戦争へ向かう前に兵隊さんはこの橋を通ってから戦地へ向かう風習もあったそうです。
この橋、この後に訪ねた清明神社=安倍晴明さんとも縁があります。
晴明神社は、京都市上京区晴明町にある神社。安倍晴明を主神とし、倉稲魂命を合祀した。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座してます。
額に掲げられた金色に輝く社紋「晴明桔梗」が特徴的です。鳥居の額には、通常、神社名やお祀りしている神様の名前を掲げることが多いのですが、この鳥居には社紋が掲げられており、全国的にも珍しいものといわれます。
「晴明桔梗」は、「五芒星」とも呼ばれ、晴明公が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつです。
2024年元旦に起こってしまった想定外の天災、そしてその後の人災...大難を無難には出来ないかもですが、あらためて激動の時代を生きている私たちの悔い改めと意識でせめて小難になりますように...また、あらためて日本人の真情を繋げるような...私なら書籍を出版し、特別な能力を持つ方に過度の依存せず、令和のミタカラ結界でこのミカラダである母国を、ミタカラを護りたいと念じます。
21世紀に入った時にこの映画が〜
『陰陽師』2001年
『陰陽師Ⅱ』2003年
そして、この映画が公開されるというのも天の計らいか〜
『陰陽師0』 2024年
安倍晴明さん、和気清麻呂さん、さらに孝明天皇、明治天皇...大正天皇、昭和天皇、怨霊から神になった皆さま、何卒、何卒、「絶望」から「希望」を見出した母国日本人=地球人類をお護りください。