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LAB LETTER

啓蒙=価値観植えつけ教育 ⇔ 価値観自覚教育=啓発

*TAO LABより
先日、普段意識していない「権利」という英語より翻訳されたコトダマというか日本語ならではの漢字の当て字にたいする当時のやりとりをアップしました。
...「権利」という訳語ではなく、本来は「権理」「権義」と日本語に変換すべき...戸塚宏さんから伺った福沢諭吉の指摘

それ以降、あらためて「言葉」の意味やカタチをしっかりと考えようという意識が芽生え、今回、こちらの二つの言葉を掘り下げてみました。
きっかけは自衛隊特殊部隊を創設率いた元自衛官荒谷卓さんの存在+著作からです。荒谷さんについてはあらためてアップしようと念ってます。

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*啓蒙
「啓蒙」は、人々に正しい知識を与え、ものの道理がわかるように導くことです。その人が持つ正しい知識を他の人に与え、合理的な考えをするように指導することを言います。
「啓蒙」の「啓」という字は、「閉じたものを開ける」「未知の物を明らかにする」「教え導く」などの意味を持ちます。一方「蒙」の字は、「まだ道理をわきまえない者」「道理に通じない」「おろか」などを意味しています。
悪いことではありませんが、上の立場の者から下の立場の者に対して使う言葉で、相手を無知で愚かな人間として扱っていると解釈される可能性があり、また、ヒエラルキーが生じ、支配と依存という関係性に陥りやすいともいえます。

啓蒙=価値観植えつけ教育といえます。

*啓発
「啓発」は、人が気づかない点を教え示して、より高い認識や理解に導くことです。自分なりに考えている人に助言を与え、自力で答えを導き出させることを言います。
「発」の字は「外に現れ出る」 「物事を始める」「隠れていたものなどを明るみに出す」「外に向かって伸び広がる」などを意味します。
また、相手の知識の有無や立場関係なく広く使うことができる言葉で、相手の自発的な思考を促すニュアンスがあります。

啓発=価値観自覚教育といえます。

植え付けと自覚...多様性を尊ぶためには自立した個々の存在が絶対条件かと考えます。
啓発が外から与えられるとしたら、啓蒙は自ら内側から生じることかと。

画一的な枠にはまった同じ色の世界ではなく、多様な存在が共存する虹色のような世界...あらためてこれからは「啓蒙ではなく啓発」が必要になると思われます。
いかがでしょうか?  そのためには? どうしたら?
まさしく、外に向けた啓蒙活動ではなく...お互い内に沈み、啓発灯しましょう〜:)


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