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青山堂運歩 by 川島陽一
「場」の理論 ・「場所」の哲学
「時間とは何であるかと問われなければ、私は知っている。しかし何であるかと問われると、私は知らない。」
とアウグスティヌス(三五四〜四三〇 ローマ帝国のキリスト教神学者、哲学者。テオドシウス一世がキリスト教を国教として公認した時期に活動。『告白』自伝)の著者)はこのように言った。
ーアウグスティヌス時間論の序『告白』十一巻よりー
空間も同じように質問するとしようか。「問われないと知っている」ということになるのであろうか。
空間は、物ではない。それ自体としては「無」である。しかし単なる無ではなく、「何ものか」なのでありましょうか。
十七世紀ニュートン(一六四二〜一七二七 イングランド王国の天文学者、数学者、物理学者、哲学者、神学者。政治家、造幣局長官)において、空間は「神の感覚器官」とされ、「神の属性」といわれた。
空間が理論的な問題となるのは近代である。アリストテレスの「フィジカ」は「物理学」ではなく、「動くことを本姓とするものに関する学問」である。近代となって初めて「フィズィックス」として「物理学」が成立することになるのです。
今日、ニュートンは「近代科学の創造である」と言われていますが、それは彼の半面である、と下村寅太郎(一九〇二〜一九九五 哲学、西洋中世研究家。ライプニッツ論等)は言う。
所蔵者のシルエットとは、その人お持ちの蔵書コレクションこそがその人となりを表す、ということであるらしいが、ニュートンの、科学研究に費やした時間と同じように、その「年代記」の研究=年代記とは、聖書の予"言"の実証のために欠かすことのできない学問のことで、三位一体論への反駁のための神学論の研究、錬金術の研究へは、同様の時間が費やされたという。
それは実際にあったことで、未公開のニュートンの手稿を買い取り通読した、経済学者ケインズ(ジョン・メイナード・ケインズ(一八八三〜一九四六)、イギリスの経済学者、ケインズ経済学)は「ニュートンは、the first of the age of reason でなく、the lost of magicians であると報告した(彼は近代科学の創始者というよりも、ワンオブザラストマジシャンズ、と呼んで世界が驚愕した、という)。」
キャリー・マリス(一九四四〜二〇一九 一九九三年ノーベル化学賞受賞―PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)の発明による―)がこう語っている、「科学者の意見は、科学者の人間性とは関係がない。つまり重要なのは、アイザック・ニュートンがどんなやつだったかという点ではない。重要なのは、彼の主張、すなわち力とは質量かける加速度であるということだ。ニュートン自身は頭のおかしい変人で、両親の家に放火するような反社会的人物だった。しかし、力が質量と加速度の積である事実は今も変わらない。」(「マリス博士の奇想天外な人生」(ハヤカワノンフィクション文庫・p170))。
もちろん、科学とは、一種の方法であることは確かでありますし、実験というデータが科学者を支持します。そしてそこから導きだされた結論は、別の人が行っても同じであれば、多くの支持を受けることができるのです。
デカルト(一五九六〜一六五〇 フランス哲学者、数学者、合理主義近世哲学の祖)が哲学の問題として「実体」論から出発し、「精神」と「物体」を並立させた。そこには、「霊魂」と「肉体」の概念を捨てた、ということが見えてきます。そして、デカルトは「精神」と「物体」のそれぞれの本質を「意識」と「延長」と規定しました。「空間」は外的な「延長」として捉えられ、内的な意識に対立する外的な「自然としての物体」の本質的な属性とされることとなったのです。「空間」は空虚でなく、物理的な現象の「場」となるのでした。
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この後も、「場」のことを考えていきますが、少し、その前に余談をさしはさみたいとおもいます。
整体院にはとても大切な宝物があります。子どもたちの写真、犬・猫・鳥たちの写真、多くのお具合の悪い方たちの写真、などなど。
家内とわたしは、東京目白にある保育士と幼稚園教諭養成校「東京教育専門学校」の同級生です。わたし自身は、児童館での学童保育や知的障碍児者施設。家内は、保育士のオーソライズ、ほとんどすべての業種に従事しました。
親の整体時にお子さん方は、整体院で遊んで過ごす。はや二七年が経過した。初めの頃の子らはもうすでに成人だ。もちろん、お子さんの整体も行うけれど、整体後はぼくの整体は休息を必要とする、早くても整体する子は小学二年過ぎくらいか。そのほかの子供たちは、それでも、遊んでいても、効果があるのは、整体院には、よくなると思われる「場(フィールド)」が存在するからだ、とおもうのだ。
『頸部前彎療法』という「場」「場所」が、クライアントさんにどのように関与しているのでしょうか、二三の例をご紹介してみましょう。
わたしの知的障碍者施設時代の部下が結婚し、出産。彼女の子が、「先天性股関節脱臼」という診断を受け、苦しいリハビリを受けていた。ぼくをおぼえていてくれて、整体院に子どもをだっこしてきた。すぐに、整体院のソファに子供をだっこして座ると、抱っこされた子どもはむずかりだした。数分後子どもは、うとうとし始め、あっという間に眠ってしまった。多くの赤ちゃんクライアントさんの例に違わず、だ。大人は整体後に、体が温かくなることが多い。軸椎が整うことで、循環がよくなるからだが、子どもたち、とりわけ赤ちゃんは感受性がよいので、早々に熱を出すことが多い。だから、むずかり、すぐうとうとが始まるのだ。
さて、後日彼女は子どもを医者に連れていき、エコーをとったところ、「お母さん股関節が正常になっていますよ」といわれるも、信じられず、別の医者に行き、もう一度エコーを撮ってきた。やはり股関節は、正常な位置にあった、というが、医者はもう来なくてもいいとは言わなかったそうである。彼女曰く、医者が首をひねった、という。そして、彼女は新ためて、わたしを信用してくれたのでした。
犬、猫をお連れになる方もいらっしゃる。ちょうど二十五年前の平成九年に、鵠沼海岸に週一回の整体院をオープンし今もって、二十五年来のお付き合いのあるクライアントさんのワンコは、懐かしい思い出がある。ある日、「先生、犬の調子が悪いのだけれど・・・・。」「今度整体院の終わりの時間に、ほかの方には内緒で、どうぞお連れくだい」、と伝えた。
クライアントさんは、ワンコの"ドンちゃん"をだっこして、ドアを開けると、"ドンちゃん"は、その手から飛び降り、ひょこひょこと歩き始めた。ボー然とするクライアントさんは、涙を浮かべて「歩けなくて、それで、つれてきたのに!」、と。そのときすでにワンコドンちゃんは十八才すぎ、目は白内障で、ほとんど見えて痛い状態ながら、その後二十二歳八か月まで、長生きした。別の意味で、この長命もすごいことではありますが。このクライアントさんのイヌ歴はこの後も続き、いまは、三代目が、たまに通ってくる。
赤ちゃん、動物、何れも、わたしの整体院は場所を提供するのみなのである。普通の常識、理屈には、当然あわない。
さらに続けよう。今度は、さらに理屈に合わない。
クライアントのFさんは熱海在住だったお母様が高熱で入院、腹痛もある、とわたしに電話をくださった。Fさんはわたしの整体の理解者でいらっしゃるが、それだけにとどまらず、「想う」ことで人を癒す、癒される、ということに理解をお持ちの方であった。Fさんは、わたしがお母様を想うことにより、いくらかでもお母様がお楽になればと思い、連絡をくださったのである。
数日後、Fさんから「母の熱が下がりました」と電話をいただき、病院の検査診断によると、お母様の体内に石が見つかりそれが悪さをしている、年齢からも持病からも手術は不可とのこと、引き続き薬で痛みを軽減するほかない、という。
さらに数日後電話があり、「医者が「運のいいことに石が動いて手術が可能になった」、といっている」、との連絡をいただく。その後、Fさんはわたしに、病院の場所、医師の名前を伝えてきた。わたしが想うことの精度が増すであろうという配慮からであるのだが、くれぐれもわたしに、何か魔法のような力はないのだけれど。
さて、話はさらに続く。
手術日の当日の朝のことである。お母様の排便とともにその「石」は出た!、のである。当直の看護士さんは、「そのもの」を持って慌てて医者に見せに廊下を急ぎ走りました。
後日、担当の先生は出た石をビニール袋に入れてこう言った、「こんなことは病院始まって以来のことだ。奇跡ですから、おうちのお仏壇に供えられるとよいでしょう」、と。
その日の朝、つまりお母様の手術の日の朝ベッド上でお母様は、「江の島の方から柏手が聞こえた」という。当時わたしの整体院は江の島ほど近くの片瀬海岸、「江の島ビュータワー」三階にあったのだ。冗談めかすつもりはさらさらないのだけれど、わたしは、人を想うこそはすれど、江の島神社の神官ではないのだから、「柏手」は打たない。然は然りながら、Fさんの想い、お母様の想い、お医者様の想い、看護師さんの想い、の重層、そして重奏の響き愛は、まことに、奇跡を生んだのだろう、と思わざるをえない。
想いは空間を超え、さらには時間をも超えるというではないか。自身も時々そのように思わざるを得ないことがある。
以上の三つの話は、本来、常識的人間の通常の意識、普通のこの世の中に、ごく普通に生活している人の世界から見れば、まったくの非常識以外のなにものでもないし、虚構と言われても仕方のないことです。わたし個人の思い込みであり、仮構の域をでない話しでもあります。井筒俊彦さんならば、すべては「元型」=アーキタイプ(意識深層におけるイマージュ)のもたらすファンタジーに過ぎない、とおしゃるでありましょう。
翻って、願わなくとも、すでに活躍する舞台があり、活躍する能力(奇霊(くしみたま))がすでにあることを、生結び(いくむすび)という、と聞く。想うを超えた、祈り、とは、意 乗り であり、いま有ることを信じながらも、自らの意志をご覧ください、と魅せることであるならば、さらに納得がいきます。
となると、人の行いこそが、神の想い通り(奇跡)でないところに、神にも驚きがあり、世界は驚きに満ちあふれているのだ、と考えるとさらに楽しいし、さらに幸せなことではないでしょうか。
植物(草木草花)が、大雨や大嵐に合い、人や車に踏まれひかれてもなお、その倒れたのちには、再び根付くことを考えれば、やはり、世界は驚きに満ちていることを、思わざるを得ない。
いろいろなものを不揃いのまま受け取り全体が無秩序に分かれる、このような場所(コーラー)は、母の胎内のごときところであり、意味の生成の場所である、とプラトンはいう。
「道」は大小の空間的な規定を超えている、という哲学を渉猟すること有余年、『荘子』(斉物論篇)に、「天下二秋毫(しゅうごう)ノ末ヨリ大ナルハ莫(ナ)クシテ、泰山モ小サント為ス」という文に出会う。秋の動物の冬に備えて細く密生するその細い毛の先端ほど大きいものはなく、高く聳(そび)えて巨大な泰山ほど小さいものはない、という意味である。
理論物理学の湯川秀樹は『極微(ごくみ)の世界』(岩波書店)で、「現代物理学の行く手にある世界、それは最早(もは)や吾々の人間の言語を絶する寂寥(せきりょう)の世界であるかも知れない」、と言っておられます。
『荘子』(逍遥遊篇、郭象注)に「大ト小ト殊(コト)ナリト雖(イエド)モ、自得ノ場二放テバ、則(スナハ)チ逍遥スルコト一(オナジキ)ナリ」とある。漢訳『維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう』(菩薩品)鳩摩羅什訳に「衆生ハ是(コ)レ道(サトリ)ノ場ナリ。無我ヲ知ルガ故二」とある。
これらに、「場」の思想。「場所」の哲学が垣間見える気がいたします。
湯川秀樹にもどると、『極微の世界』中の「理論物理学の課題」章中に、「中性子・陽子などを結合せしめる場の研究」を書かれているが、湯川は京都大学で西田幾多郎の『場所の哲学』の「一般者と個物が同時に成り立つ場を持つ」から、ノーベル賞のヒントを得たことは確かであり、湯川の量子論は「非局所・場の理論」なのである。
整体院の「場」を多くの方々にご実感を得ていただき、さらに体感をしていただくことを目指しておりますが、「場」の理論から進んで、わたしの整体を勉強してくださる方々への最終過程は、その方々のおうちの「場」づくりであります。
...そして、それは、「想い」さらには「祈り」が形成するのだ、ということもつけ加え、この項をご笑覧くださいますならば幸いに存じます。