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「日本のこころ」3大名著 はご存じだと思いますが ...『武士の娘』...杉本鉞子さんのこと、ご存じですか?

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杉本 鉞子(すぎもと えつこ)
1873年(明治6年)- 1950年(昭和25年)6月20日)。作家。
父は戊辰戦争に敗北した長岡藩の筆頭家老。維新後生まれた鉞子は、苦学の末、アメリカに渡り結婚。
夫の死後、アメリカ人の琴線に触れる、大正末期に出版した英語によるその著書『A Daughter of the Samurai(武士の娘)』は、アメリカでベストセラーとなり、同時期に出た『グレート・ギャツビー』に負けぬ評判をとった。
戦争をはさみ、『武士の娘』以降3冊の本を書いた鉞子は、昭和25年に息をひきとるまで日米の架け橋となった。アメリカでは有名人、日本では無名、彼女はコロンビア大学の初の日本人講師でもある。  

*TAO LABより 
『茶の本』(岡倉天心)、『武士道』(新渡戸稲造)、『代表的日本人』(内村鑑三)は日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した今でも世界中で読みつがれている代表的な著作=名著だと思いますが、今回ご紹介するのはそれらに引けを取らないであろう女性が英語で書いたこちらの著作です。

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『武士の娘』
杉本 鉞子 / 著 大岩 美代 / 翻訳

1873年、越後長岡藩の家老の家に生れ、武士の娘として杉本鉞子は厳格に育てられた。
結婚によりアメリカに住むようになり、すべてがめずらしく目新しい暮らしの中で「武士の娘」として身につけたものを失うことなく、また自分にとじこもることもなく、みごとに自立した考えを身につける...
今日に通じる女性の生き方を見る上にも、当時の風俗や生活のありさまを知るためにも、彼女の著作は高い価値をもつ。
翻訳も美しい日本語訳となっております。


杉本鉞子の数奇な生涯を描くノンフィクション。
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『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』
内田 義雄 / 著

鉞子は10代で東京へ出てクリスチャンの学校へ通い英語を身につける。卒業後、浅草で教職につくのは、ちょうど樋口一葉が同地に移り住む頃だった。
縁あって、アメリカ中部で美術商を営む杉本松雄に嫁ぐのが明治31年。しかし、38歳で寡婦となった鉞子は、二人の娘を養育しながらアメリカにとどまる決意をする。
生涯、彼女をサポートしてくれたアメリカ人女性との邂逅。食べるためにはじめた新聞・雑誌への投稿が、編集者の目に留まり一冊となる。それが『武士の娘』だった...

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