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TRIP*CLIP

天理編1〜崇神天皇+石上神宮

*TAO LABより
先日、関西、京都+奈良+大阪に出張=TRIPCLIPしてきました。
その記録と報告です〜まずは天理編その1

今回の目的の一つは天理と斑鳩訪ねること。
気になっている方とその方とご縁のある所にこの肉体を持って行くこと。

天理ではこちら。

崇神天皇の陵墓
崇神天皇は、日本の第10代天皇。『日本書紀』での名は御間城入彦五十瓊殖天皇。祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇。
実在した可能性のある最初の天皇とする説があり、考古学上実在したとすれば治世時期は3世紀後半から4世紀前半と推定されるが、定かではない...

現在で126代を数える天皇の系譜。
その中で「神」という文字が使われている天皇は

初代 : 神武天皇
十代 : 崇神天皇
十五代: 応神天皇

なるほど偶然が必然か、「神」の漢風諡号をもつ天皇は、初代、もしくはヤマト政権にとって重要な分岐点にあたる天皇、(もしくはもっと想像をたくましくして、王朝交代の初代天皇)ということができると思います。ご興味ある方はこの三人掘ってみてください。

もう一人、女性ではありますが...そして、応神天皇の母であり〜古代、朝鮮半島を服属下に置いたとされる「三韓征伐」伝説を持つ神功皇后。夫=仲哀天皇崩御から息子=応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間(調べた限りだとこの期間〜長期ですね)君臨したとされる。
卑弥呼と並び、古代日本の象徴的なヒロインのひとりであり、古代日本における女将軍の象徴とも言える人物です。


崇神天皇の陵墓「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)」は全長約242m、後円部径約158m、口縁部の高さ約31m、前方部の幅約100m、前方部の高さ約13.6m、周濠を含めた全長は約360m、最大幅約230mの巨大な前方後円墳です。築造された年代は4世紀後半(古墳時代前期後半)の早い時期と推測されています。

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前回、大本教編をご一緒した矢持クンと今回も。
お世話になります、毎度!ありがとうございます、お互い様ぱしり〜:)

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で、こちらに

*石上神宮(いそのがみじんぐう)
大和屈指の古社。古代豪族物部氏の総氏神で、大和朝廷の武器庫だったとの記録もある。御祭神の布都御魂大神は神剣・韴霊に宿られる霊威。
神武天皇がこの神剣によって、東征の際に悩まされた邪神を平らげたと伝えられています。

石上神宮は、昔からスピリチュアルなパワーの強い神社として有名なところです。一般的な知名度では、それほど高くないかもしれませんが、まさに知る人ぞ知る存在だといっていいでしょう。

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どちらも目先の現世利益を願いに行ったのではなく、意識に上がったこちらの場所に〜自分自身を高め、あらためてこの凸凹人生:)天から与えられた道を意識して歩んでいこうと決意した今、このタイミングで伊豆よりカラダ持って行き、ご挨拶、御礼参りさせていただきました。
もともと天理に行こうと決めた理由は?〜こちら、天理編2に続く

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