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LAB LETTER
熱海興亞観音〜感謝の祈り1945-12-08へ届け〜
*興亞観音
興亞...亞細亞(アジア)諸国の勢いを盛んにすること。
観音...世の衆生がその名を唱える音声を観じて、大慈大悲を垂れ、解脱を得させるという菩薩。
興亜観音...静岡県熱海市伊豆山にある、わけへだてなし存在する「怨親平等」の観音様。昭和15年(1940)2月24日に、松井石根陸軍大将の発願により支那事変での日支両軍の戦没者を等しく弔慰、供養するために建立。
同観音像を祀る宗教法人礼拝山興亜観音。日蓮宗から分かれた法華宗陣門流の系ではあるが、興亜観音はこれにも属さず、日本で唯一の独自の歴史と祭祀を持った独立した寺院である。創立の趣旨から宗派を問わず参拝客を受け入れている。
*TAO LABより
ここ30年あまり、故郷熱海にある興亜観音にその存在と意味を知って通い続けています。
そのきっかけは先の大戦は当時の母国ニッポンの西洋列強と同じ強欲なエゴによる自分勝手な振る舞いだと固く信じていた自分の思い込み刷り込みが根底から崩される霊的な体験からでした。
登場人物は山下奉文さん+本間雅晴さん+松井石根さん+東条英機さん+昭和天皇...彼らとの時空と次元を超えた交流からです。
このことやそれ以外にも実体験した有り難いぶっ飛んだ出来事はいつか記憶から記録に〜ご縁のある方が興味持っていただけましたらシェアーしたいとは想います。
この方々、現在の存在と想い〜当時は東亞といってましたが現在では地球人類すべての幸せ願い、メッセージ頂きました。まさしく、真のサムライ=大人でした。
もちろん、あくまでも個人的な体験ですから、それを特別視したり、押しつけたくもありません。時には記録は勘違いや思わぬ災いを第三者にもたらしてしまうこともあるので。
この興亞観音は歴史に名を残す一個人のこんな想いが...カタチになった場所です。
陸軍大将 松井岩根が願主となって支那事変戦歿者を「怨親平等」わけへだてなしに慰霊供養するために建立された「興亞観音」が鎮まり、そして「殉国七士」をはじめとした昭和殉難者(殉国刑死者・ABC級戦犯)1068柱の御英霊、大東亞戦争戦歿者を慰霊する聖地です。
詳しくはこちらに〜
志那事変から大東亞戦争=太平洋戦争へと繋がっていくこと、歴史を俯瞰すると判ります。
また、ある意味、大東亞戦争(主に陸軍)がまんまとグローバリストの戦争屋の策略にハマり、太平洋戦争(主に海軍)へと戦地が拡がってしまったこと、それは霊的には日出づる国が東=太陽に向かって侵攻してしまったとも言えます。
とてつもない大きな歴史の転換期には「今」から振り返り観ると人知で緻密に考えられた人謀ではなく、それすらも利用する神謀ともいえるある意味、非情(破壊)...でもそれ以上の大きな愛で組み立てられた台本の存在(あらたな創造)というものを感じてしまいます。
すべてを受け入れ、美化するわけではないですが...当時の日本が列強諸国に向かわざる得なかった戦争、そして白村江の戦い(663年)以来、1282年ぶり、二度目のボコボコにやられた敗戦(1945年)にも大いなる神謀が〜と個人的には驚きを超え、畏敬の念が生じています。だからこそ、その戦争で犠牲になったすべての方に「今」生きている自分の出来ること=お詫びと感謝の慰霊をやり続けています。
とはいえ、これは陰謀論やトンデモと一般には思われてしまう次元の話だとは想いますので、これ以上は語らぬ方が調和のバイブス乱さないかと〜:)
さて、本日12月8日は先の大戦の開始された日です。
世間では海軍が実施したパールハーバー攻撃より開戦されたと思われていますが、実は同日、陸軍が実施したマレー半島での上陸が時差の関係でその口火を切った作戦遂行です。
このことに関してはこんな記録をマガジンに上げています〜マレー半島上陸、よろしかったらどうぞ!
本日、ここに真砂秀朗さんとともにお詫びと感謝=慰霊を捧げに伺いました。
どういうわけか、どなたも、さらに住職もおらず、二人静かに祈禱させていただけたのです。
その時、真砂さんが奏でてくれた楽曲はこちらを元にした笛です〜『祈り』
この響きをココイマで思いをはせ、聴いたとき...鳥肌立ち、なんともな気持ちとなりました。
この歌がそんな気持ち、的確に現してくれてます。
哀しい哉(かな) 哀しい哉(かな)
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
ー空海ー
ここには多くの方が祀られていますが、あらためて殉国七士とは以下の方々です。
東條英機氏(元首相・陸軍大将)
土肥原賢二氏(元陸軍大将)
広田弘毅氏(元首相)
板垣征四郎氏(元陸軍大将)
木村兵太郎氏(元陸軍大将)
松井石根氏(元陸軍大将)
武藤 章氏(元陸軍中将)
さて、なんで海軍関係者が独りもいないのでしょうか?不思議です...
A級戦犯とともにBC級として指定され死刑を実行された方が1000人以上存在いたします。
この方々は哀しいかな、現在の日本では忘却されておりますが、その中の一人、岡田資さんという東海軍司令官・中将だった方がいます。
驚くべきことにこの方の息子さんが、玉川学園で大変お世話になった岡ちゃんこと岡田陽さんです。
この事実を知ったのは岡田先生と交流があった時期ではなく、その後でしたのでお父様のお話を伺うことが出来ず、残念です。
岡田資さんについては大岡昇平の長編小説『ながい旅』を原作にした『明日への遺言』という小泉堯史監督作品にて映画化されております。
そこに若い頃の岡田先生と奥様である玉川学園創立者小原國芳先生の娘=純子さんも出てきます。
素晴らしい内容です。
玉川っ子はもちろん、一般の方々にもぜひ、観ていただきたい作品です。
個人的なこと+想い、調べたこと、長々と書き連ねました。
真砂さん、誠にありがとうございます!
二人でしみじみとあの場で語り合った気持ち、届いていると確信しています
戦争で亡くなったすべての方たちに〜合掌
PS
哀しくて、哀しくて、もっと哀しくて、
悲しくて、悲しくて、さらに悲しくて、
感情が高ぶり、抑えきれないほど
どうしようもない思いが溢れてくる。
という歌のあとに空海はさらにこう詠んでます。
悟りを開けば
この世の悲しみ 驚き
すべて迷いの生み出す
幻に過ぎないことはわかっています
それでも
あなたとの別れには
涙を流さずにはいられません ...
確かに、その感情、イマココに生きる想い、真実かと。