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本日の一枚
オッ宝!ムーンライダーズ+佐藤奈々子、1979年に行われたLIVEの記録
スイマー
スタジオ・ミュージシャン
ブラックペッパー・ジェラシー
『Radio Moon and Roses1979Hz』
ムーンライダーズ+佐藤奈々子
1979年当時、ムーンライダーズはシンセサイザーなど新しい手法を積極的に取り入れていた時期、そして佐藤奈々子は4枚のソロアルバムをリリースし、ムーンライダーズや加藤和彦など、当時の先鋭的なアーティストの作品に参加、楽曲提供するなどした頃に実現した話題の2アーティストが共演した伝説のLIVE。
*TAO LABより
大好物のバンドとシンガーの1979年に行われたライブ盤です。
鈴木慶一さんのヴォーカル、プラスチックス等の故・中西俊夫さんとともに何ともキューンとさせられてしまいます。
佐藤奈々子さん、現在は写真家としても活躍中ですが1979年以前に出した4枚のアルバム、愛聴、アンニュイな眼差し、コケティッシュな声、シビれてました。
この年以降、大好きな日本のミュージシャンはニューウェブへと進化していきます。もちろん日本語脳から生まれたともいえる和風ニューウェーブ=テクノポップも当時、大好物でしたが、今から俯瞰すると個人的には1975年から1977年=高校三年間の日本の音楽がまさしくニューミュージック、一番の核となる時代です。
ニューミュージックからテクノポップに変化する狭間の時期、その両方のバイブスが記録されている、なんとも、ありがたい一枚かと〜:)
■ムーンライダーズ
1976年のデビューから45年以上のキャリアを誇るロックバ ンド。現在のメンバーは、鈴木慶一(Vo,G)、岡田徹 (Key,Cho)、武川雅寛(Violin,Trumpet)、鈴木博文(B,G)、白井良明(G)、夏秋文尚(Dr)。 70年代前半に活躍した「はちみつぱい」を母体に、 1975年に結成される。
1976年に鈴木慶一とムーンライダー ス名義でアルバム「火の玉ボーイ」でメジャーデビュー。 翌1977年にムーおンライダーズとして初のアルバム 「MOONRIDERS」を発表し、以降コンスタントにリリー スを重ねる。1986年から約5年間にわたり活動を休止したが、 1991年にアルバム「最後の晩餐」で活動を再開。つねに新 しい音楽性を追求するサウンドは、同年代だけでなく数多 くの後輩アーティストにも影響を与えている。
また、各メンバーが積極的にソロ活動も行い、それぞれプロデュース や楽曲提供など多方面で活躍中。
■佐藤奈々子
大学在学中に佐野元春と出会い、歌や詩を書くことを教わる。
大学主催の女性シンガーソングライターコンテストに出場し、「綱渡り」で最優秀作詞賞受賞。
このコンテストを機に1977年6月、佐野との共作によるアルバム『Funny Walkin'(ファニー・ウォーキン)』で日本コロムビアよりデビュー。
1979年までに4枚のソロアルバムをリリースし、ムーンライダーズや加藤和彦など、
当時の先鋭的なアーティストの作品に参加、楽曲提供するなど活動の幅を広げる。
1980年 「SPY(スパイ)」を結成。加藤和彦プロデュースによるアルバム『SPY』をリリース。
その後、プロのフォトグラファーとして広告、雑誌などで活動を始める。
余談ですが、奈々子さんの息子さんjanくんは片寄明人さんのGREAT3やjan and naomiとして活動中、jan and naomiのこの長野でのライブ、幻想的で最高でした!
コインランドリー
女友達(悲しきセクレタリー)
火の玉ボーイ