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合掌〜No More HIROSHIMAS!

先日、広島に仕事で伺いました。
そのタイミング活かし、ここ30年近く行っている慰霊と祈りを捧げにカラダをこちらに持って行きました。

原爆ドーム
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原爆投下前の写真
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人類史上初めて実戦で使用された核兵器 広島型原爆 リトルボーイ
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このコードネームなんとも...長崎型原爆はファットマン。

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広島に投下された原子爆弾は、ウランを用いたもので、小型であったため「リトルボーイ」(ちび)と呼ばれていました。
一方長崎に投下された原子爆弾はプルトニウムを用いたもので、その容姿から「ファットマン」(ふとっちょ)と呼ばれていました。
原爆に関してはドイツナチスより逃れたヨーロッパの優秀な科学者が関わり、落とした側は罪悪感無く、その意志決定の理由にはとても残酷な話ですが人種差別(黄色人種)の意識もあり、さらに人体実験としての意味もあったことは歪めません...人類の無知野蛮...恐ろしい一面です。

原爆投下後の写真
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原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。広島市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。
8月6日原爆投下当時、広島市には居住者、軍人、通勤や建物疎開作業への動員等により周辺町村から入市した人を含め約35万人の人がいたと考えられています。また、日本人だけでなく、米国生まれの日系米国人や、ドイツ人神父、東南アジアからの留学生、そして、当時日本の植民地だった朝鮮と台湾、さらには中国大陸からの人々、そして米兵捕虜など、様々な国籍の人がおり、こうした方々もいやおうなく原爆の惨禍に巻き込まれました。
爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が亡くなられました。それよりも爆心地に近い地域では80~100%が亡くなられたと推定されています。また、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったようです。

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合掌

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PS
「No More HIROSHIMA!」と英語で言われたりしてますが、このスローガンだとネイティブには
「広島なんか要らない!」
「あんなもん、要らない!」
「うんざりだ、鬱陶しい!」
という意味となるとか...

正確には
「No More HIROSHIMAS!」
と固有名詞でも複数形にしないといけないとのことです。
そうしないと
「もう、広島のような、原子爆弾で破壊される都市を二度と作らないで!」
という核兵器廃絶のスローガンとはならないそうです。

なるほど、初めて知ったのでお裾分けを〜

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