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本日の一冊
日本と世界、大航海時代侵略奴隷貿易の闇、秀吉はわが国を守ったのか?「バテレン追放令」の真実とは??
キリスト教化と文明化の名の下に新世界へ乗り込んだスペイン人征服者によるインディオの殺戮と搾取。残虐非道が日常化した植民地の実態を暴露し、西欧による地理上の諸発見の内実を告発した植民地問題の古典。十全な解説を付した改訳決定版。
『インディアスの破壊についての簡素な報告』
ラス・カサス:著
染田 秀藤:翻訳
*TAO LABより
1552年、スペイン出身のドミニコ会士であるバルトロメ・デ・ラス・カサス(1484年-1566年)が著した書籍。
この著作が翻訳されたのは1976年、当時高校生だったけど、ひょんな事で知り、その当時、購入、読みました...当時は思想的には「共産」という日本語にシンパシーを感じ、生き方としてはヒッピー+アナキストに憧れ、差別や迫害に心を痛める青い春でした。
余談ですが、「コミュニズム」を日本語で「共」「産」という漢字をあてたコトダマ・オトダマに訳したことがある種の過度の理想を与えてしまったことは確かかと。共産国の国家運営+自国民に対するその後の歴史は結果、目を覆いたくなるような事実ばかりです。「共に生産する」〜主要な生産手段を社会化することによって、人間による人間の搾取を廃止し、社会から貧困をなくすとともに、経済の推進力を、利潤追求から人間の物質的精神的な生活の発展に求め、すべての人間の自由で全面的な成長・発達を目的とする〜という理念は絵に描いた餅という結果に...
時は1492年から始まったコロンブスの新大陸確認から大航海時代。これにより中南米やカリブ海の島々は無茶苦茶にされ...現代人の感覚からすれば狂気とも思われる行為が横行した。昔の話だからといいたいとこだが、世界大戦時にもカタチは違えど残酷なことはたくさん行われていた...基本、この大航海時代から西洋文明=一神教が世界を駆け巡ることとなりました。
ほぼ同じ頃、我が国は戦国時代を迎えます。
時同じく、西洋の文化文明があらためてこの東方の地に届き始めました。
歴史を俯瞰的に観ると面白いことに気づく。ある意味、キリスト教の名のもとに行われていた地球の裏側での残虐な出来事と同じことが起こっても不思議ではない。
『スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン』復刊
奈良靜馬:著
この本は敗戦後、GHQにより没収廃棄を命じられた書籍お1冊である。この本を読むとGHQが「大航海時代」と呼ばれる時代におけるわが国の外交史や交易史をどのように歪めようとしたかがなんとなく見えてくる。
『大航海時代の日本人奴隷』増補新版
ルシオ・デ・ソウザ+岡 美穂子:著
戦国時代の日本国内に、「奴隷」とされた人々が多数存在し、ポルトガル人が海外に連れ出していたことは知られていた。しかし、その実態は不明であり、省みられることもほとんどなかった。ところが近年、三人の日本人奴隷がメキシコに渡っていたことを示す史料が見つかった。「ユダヤ教徒」のポルトガル人に対する異端審問記録に彼らに関する記述が含まれていたのだ。アジアにおける人身売買はどのようなものだったのか。世界の海に展開したヨーロッパ勢力の動きを背景に、名もなき人々が送った人生から、大航海時代のもう一つの相貌が浮かび上がる。
『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか- 世界遺産「潜伏キリシタン」の真実』
三浦小太郎:著
戦国時代の日本に起きた西洋、キリスト教との邂逅。当時の日本の統治者たちはどう対処したのか?日本人への人種差別、奴隷・人身売買―さらに"天正遣欧少年使節"には隠された目的があった!学校では教えてくれない「吉利支丹」の歴史。
『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』
渡邊大門:著
日本人にとって、倭寇=略奪・拉致、秀吉の朝鮮出兵=残虐・捕虜連行のイメージはおなじみのものだが、本書を読むとそのイメージは一面的なものに過ぎないことがわかる。ポルトガル人の日本進出をきっかけに、ポルトガル商人は日本人奴隷を買い取り、海外に連行して売却した。それを禁止したのは、豊臣秀吉である。しかし、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)がはじまると、戦国大名は朝鮮人を多数日本に連行した。逆に、「降倭」と呼ばれる朝鮮軍に投降した日本人将兵もいた。
...もちろん歴史にたったひとつの真理はなく、立場により真実は変わってしまう。また我が国も同胞や他国に対して結果、同じようなことをやってしまった歴史もある。
でも、これらを読むと大航海時代やイエスズ会、倭寇や豊臣秀吉、バテレン追放令に対する見方捉え方が変わってしまいます。
キリスト教(キリスト自身ではなく)はじめとする一神教のダークサイド...宗教に限らずそれは国家や組織、またイデオロギーにも共通する陥りやすい過ちだが...地球人類の過ちの繰り返し、やったりやられたりの繰り返し〜地球人類一人一人の精神性のシンカのみが新たな扉、開く鍵かと〜覇道でもなく、王道でもなく、和道への道のり。内なるシンカ=ワタシが変わり、セカイが変わる。