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米軍 CIA マフィア〜戦後日本の...ここでピッザをほおばりながら...風景=歴史を偲ぶ

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福生に来たら、ここでピザを頂く〜米軍空軍横田基地前にあるピザ・ニコラ。
今回はこちらをオーダー、プレーンにオリーブとルッコラのトッピング〜を、クラフトビールとともに。

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味も雰囲気も、やむやむ〜:)

このお店のもとを開いたのは日本では大東亜戦争〜アメリカでは太平洋戦争後の日本に進駐軍の一員としてやってきたイタリア系アメリカ人ニック・ザペッティ。

戦後の東京のヤミ社会、日本の暗部と深くかかわったニックさんは、マフィア牛耳るイースト・ハーレムに生まれ、大東亜戦争=太平洋戦争終戦後、進駐軍の一員として来日。東京でのボロ儲けをもくろみ、1956年、六本木に日本で最初のNYスタイルのピッザレストラン「ニコラス」をオープンする。

当時来日したエリザベス・テーラーやジョン・ウエインをはじめ多数のハリウッドの映画スター達も本物のNYスタイルのピザの店として訪れ、さらには明仁皇太子(現上皇)がフィアンセ正田美智子さんと訪れたり...やがて60年代の東京ナイトライフの中心となった同店には、児玉誉士夫、笹川良一、町井久之、田中清玄、稲川聖城、白洲次郎、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、力道山など極東のCIAエージェントが集まる梁山泊になり、政治家、やくざ、プロレスラー、高級娼婦などさまざまな人間が集うようになる。

ニックさんは当時、日本人女性と結婚してたが、1968年に離婚することとなり、その際に横田店は奥さんに譲渡。離婚により、六本木本店などの店舗は、ニックさんが従来通り経営し、横田店は元奥さんが経営することとなりピッザ&イタリアンレストラン「ニコラス」の経営が二分化されることと。

その後、1971年ニックさんはレストラン事業の業績は順調でしたが、他の事業が不振となり負債を解消するため、A企業の支援を受けて共同事業として再出発。その後、経営方針の違いから1972年に共同事業を解消。しかし、当初の債務は残っていたので、A企業へ債務を返済するため1972年3月自己所有不動産の売却や、代物弁済として「ニコラス本店」の営業権も譲渡することに。

残った六本木交差点の六本木店(六本木プラザ3階)を「ニコラROPPONGI」に名称変更し新本店として、レストラン事業を継続しました。この結果ニコラスはA企業の「ニコラス」とニックの経営する「ニコラROPPONGI」に分かれることになります。

1975年 ニックさんは離婚した元奥さんと復縁し、1983年1月には帰化して 日本名「小泉ニコラ」となり日本国籍を取得します。
そして横田店の店名も「ニコラス」から「ニコラ」に変更して現在に至るのです。

時は流れ...東京のマフィア・ボスと呼ばれた彼の店、「ニコラス六本木店」は2018年閉店、この「ニコラ横田店」(1961年開店)が本店として営業を続けています。

1992年6月10日かつて六本木の帝王とも呼ばれ、終戦直後の混乱した日本で波乱万丈の人生を送った「日本を愛し、日本に帰化したアメリカ人"ニック"」は 病に倒れ最後は日本人として71歳の生涯を閉じ日本の地に眠ることになりました。

今は、商標登録された"笑顔でピザを持つニックさんの肖像写真"にその面影を偲ぶことができます。
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ニックさんの最後の砦となった「ニコラ横田店」は、奥さんの堅実な経営を礎に、ニコラピッザの高い知名度が培われ、現在も周辺地域の人気店として愛されております。 2003年6月奥さんが高齢により引退した後は後継者T氏に継承され 2008年5月清瀬駅南口店を、2012年11月には浦和店をオープンし現在は 3店舗で伝統の味を楽しめます。

「ニコラ」は戦後の昭和史の1ページをめくるように様々な経緯と歴史の中で 六本木で生まれて、横田基地で育った、日本初のピッツェリアの店です。
創業以来62年間「ナポリからの移民によって伝えられた、ニコラ独自のスパイス& チーズによる伝統の味」をアメリカン(ニューヨーク)ピッザにて守り続けています。


ニックさんを題材としたこんな著作もあります。
その昔、読みました〜面白かったよ!

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東京アンダーワールド
ロバート ホワイティング:著

〜東京のマフィア・ボスと呼ばれ、夜の六本木を支配した男の奇想天外で波瀾万丈の生涯が明らかにする、日本のアンダーワールド。
政府と犯罪組織の深く長い闇の絆――知られざるニッポンの姿がここにある!彼を通して正史には間違っても載らないが確実に存在した歴史が描かれる。

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