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平凡な覚醒 by しろかげ。
透明な抱擁 1.
ユージが出て行ったのは、去年のちょうど今頃だった。伊豆の保養施設のメンテナンスを請われたので一週間ほど泊まり込みになるから、と。
「ユージが行かなくちゃならない仕事なの?」
「うん、こう見えても頼られているからね」
「ふーん、秋の伊豆だなんて私も一緒に着いて行こうかな」
「ダメだよ、僕は昼も夜も掛り切りになりそうだし荷を開く場所もないような施設なんだから」
「だってちっとも休みが合わないし、もう長いこと二人でドライブにも出掛けていないじゃない」
「帰りは電車で一人旅ってことでも良ければどうぞ」
あのとき無理矢理にでも着いて行けば、きっとユージは何事もなく帰って来たのかも知れない。いつもなら閉店間際のスーパーで見繕った切り花を不器用に握りしめてドアが開かれるはずだったのに、私に届けられたのは予期せぬ訃報だった。え、轢かれたって、誰が...?
その後のことは覚えていない。我を取り戻した私の記憶は、今流行りのデータ葬によって透明なクリスタルチップにされたユージを手の中に握らされた場面から再開している。その雫ほどの石は掌の中央に硬質な重力を落としながら、遠い島影のように蒼く滲んで揺らいでいた。人は死ぬとこんなに小さくなってしまうものなの...? と私はたぶん感じたのだと思う。唐突に差し出された現実に、何かが私の底でごとりと動いて、それきり涙はぴたりと封印された。
一年が驚くべき速度で走り去って、私はと言えば、我ながら冷静に事態を受け容れて平穏に日々を過ごしている。周囲の人たちは何かにつけ気遣ってくれるけれど、私はむしろ放っておかれることを好む性分なのだ。勤めていた事務所から独立して在宅で請負いデザインだけを手がけることに決めたときも、日増しに堆く積み上げられる一方の資料の山に埋もれる私を、何も言わずに見守っていてくれたのはユージだけだった。
ドレッサーの一角に設えたユージのための祭壇に目をやると、今夜も小さな石が穏やかに寝息をたてているように見えた。