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万物日本霊長辞典
ウルトラマンの生みの親〜成田亨
*TAO LABより
ウルトラマンの生みの親の一人〜成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、青森県出身のデザイナー、彫刻家。
成田は円谷特技プロダクションのテレビ特撮番組『ウルトラQ』に途中参加し、番組内に登場する怪獣や宇宙人のデザイン、セットの美術デザインを手がけた。円谷特技プロの次回作『ウルトラマン』の企画では、主人公が正義の怪獣(宇宙人)という設定となり、当初「怪獣」のイメージから東宝特技課の美術監督渡辺明により、クチバシと翼を持つ烏天狗のような怪獣タイプのデザイン(名称ベムラー)がなされた。企画が進行し、主人公を「怪獣」から「宇宙怪人」にコンセプト変更されたのち、文芸部の金城哲夫は成田に主役ヒーローのデザインを依頼し、「いまだかつてない格好のいい美しい宇宙人が欲しい」と注文をつけた。
金城の依頼を受けた成田は、「宇宙怪人」のイメージとして、角を生やし、ダイヤモンドカットの髭を生やした宇宙人デザイン(名称レッドマン)を起こしたが、さらに検討が加えられるうちに、宇宙時代のヒーローとして、身体にぴったりフィットした宇宙服と、ヘルメットをベースとしたマスクデザイン画に変化。「人の顔」から余分なものを徹底的にそぎ落とす作業を繰り返した。その作業の際に成田は以下の方針を立てている。
広隆寺の弥勒菩薩像にも通じるアルカイックスマイルをヒントにした口元。
能面のように単純化された様式でありながら、見る角度や陰影によって様々な表情を表す。
宇宙ロケットから着想を得た銀色の肌。
火星の模様からの発想による全身のライン。
これらのデザインコンセプトを元に何枚かのスケッチを描いたのち、成田は平面画によるデザインを諦め、『ウルトラQ』で怪獣造形を担当した、武蔵野美大の後輩である造形家佐々木明とともに、粘土原型による直接の形出しに切り替えた。佐々木の造形に、単純化されたデザインが間延びしないよう、目の位置や耳の角度など、パーツデザインにこだわり苦労しながら成田が手を加え、試行錯誤が繰り返され、こうしてようやく、日本初の巨大宇宙人ヒーロー「ウルトラマン」は、1尺サイズの粘土原型の形で完成するに至った。そのため、ウルトラマンにはデザイン決定稿は存在しない。また特徴的な銀と赤の体色に関しては、体のラインには当初宇宙感を示す青を考えていたが、ホリゾント(背景)の青空に染まってしまうため断念し、現在に至る赤いライン(血脈)に落ち着いた。
・成田亨の特撮美術
・特撮と怪獣 わが造形美術 増補改訂版
・成田亨画集―ウルトラ怪獣デザイン編
・成田亨作品集
...この想い、素晴らしく...
*庵野秀明コメント
『シン・ウルトラマン』の「ウルトラマン」について
成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』を観た瞬間に感じた「この美しさを何とか映像に出来ないか」という想いが、今作のデザインコンセプトの原点でした。
我々が『ウルトラマン』というエポックな作品を今一度現代で描く際に、ウルトラマン自身の姿をどう描くのか。その問題の答えは、自ずと決まっていました。
それは、成田亨氏の目指した本来の姿を描く。現在のCGでしか描けない、成田氏が望んでいたテイストの再現を目指す事です。世界観を現代に再構築する事は挑戦出来てもあの姿を改める必要を感じ得ず、成田亨・佐々木明両氏の創作したオリジナルへの回帰しか、我々の求めるデザインコンセプトを見出せませんでした。
その為に―――
『真実と正義と美の化身』と成田氏が当時から後年にかけて描いていた様々なウルトラマンのイメージを踏襲し融合し再構成させた新たな体表のライン。
成田氏が監修した、佐々木明氏制作によるマスク。
成田氏が望んだ、古谷敏氏の体型データをベースとした体躯。
成田氏が望まなかった、眼の部分に覗き穴を入れない。
成田氏が望まなかった、スーツ着脱用ファスナーに伴う背鰭を付けない。
そして、成田氏が望まなかった、カラータイマーを付けない。
と、いう作業を行った結果が今回のデザインです。
ウルトラマンの美しさに、少しでも近づきたいという願いから生まれた姿です。
この想いが、わずかでも観客の皆様に伝わる事が出来れば、幸いです。
*成田浬コメント
・「シン・ウルトラマン」のデザイン発表に寄せて
昨年の初春、母と私のもとへ庵野秀明さんが来訪され「『真実と正義と美の化身』を映画にしたい」と仰っていただいた時のことは忘れません。耳を疑うほどに嬉しかったのです。
父、成田亨は、自身が試行錯誤しながら生み出した「ウルトラマン」を、生涯を通して深く愛し、誇りに思っておりました。
同時に、その「ウルトラマン」を生み出した自身の名前がクレジットから消され、デザインが変質され、商業的に利用され続ける人間社会に深い悲しみと絶望を抱いておりました。その心を正直に発した事で、誤解や誹謗中傷も受けました。
父は悲しみが癒されることなく2002年に他界しましたが、その背中を通して多くを感じながら育てられた私は、父を誇りに思い、時に哀れに思い、そして心から尊敬しています。
生前の父の言葉を思い出します。「本物は残る、本物であれ」
『真実と正義と美の化身』は、芸術家として生きた当時の父の全てが注ぎ込まれた油彩画です。その絵画が、当時まだ子どもとしてウルトラマンを見ておられた庵野さんの感性に50年以上の時を経て触れ、才能を発揮し続ける庵野さんの稀有な感性と交わり、「シン・ウルトラマン」としてどの様な姿でスクリーンに蘇るのか、期待に胸が膨れ、熱くなっております。
昭和の子どもが心踊らせた「ウルトラマン」が、令和の子どもたちに「シン・ウルトラマン」として蘇る。子ども達の心に残る忘れられない映画の誕生を心待ちにしております。