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ホリステック・ライフに向けて by 中川吉晴
「行為」の道とは何か -『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- vol3
*TAO LABより
同志社大学Well-being研究センターから2021年3月29日に小冊子『ウェルビーング研究 3』が発行されました。
その冊子には当社刊『神の詩 バガヴァッド・ギーター』を引用しながら同志社大学社会学部教授の中川吉晴先生の"「行為」の道とは何か-『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- "という論文が掲載されています。
その論文を中川先生及び同志社大学Well-being研究センターのご厚意によりここに転載させていただけることとなりました。
ありがとうございます。
章単位ごとに12回に分け、連載させていただきます。
今回は3回めです。
では、今此処にいながら中川先生とともに時空を超えたギーターの旅をお楽しみください。
*3「永遠の哲学」と『バガヴァッド・ギーター』
作家で思想家のオルダス・ハクスレー(Aldous Huxley, 1894-1963)は1937年にイギリスからアメリカに渡ったのち、最終的にハリウッドに落ち着くことになるが、その地で、ヴェーダーンタ協会ハリウッド支部の設立者スワミ・プラバヴァーナンダについてヴェーダーンタの学徒となっている。ヴェーダーンタ協会とは、聖者シュリー・ラーマクリシュナの高弟スワミ・ヴィヴェーカーナンダによって創設されたものである。ハクスレーは、同じくヴェーダーンタ協会の学徒であったクリストファー・イシャーウッドがスワミ・プラバヴァーナンダと英訳した『バガヴァッド・ギーター』に序文を寄せ、「バガヴァッド・ギーターはおそらく「永遠の哲学」をもっとも体系的に述べた聖典である」(Huxley, 2002, p. 23)と述べている。
「永遠の哲学」(perennial philosophy)とは、古今東西のさまざまな叡智の伝統に共通する神秘主義的な中心思想のことである。それは、ヴェーダーンタ、大乗仏教、プラトン学派、キリスト教神秘主義、スーフィズム、道教思想などに見られる普遍的な要素であり、それぞれの伝統によって表現は異なるものの、さまざまな文化のなかで2500年以上にわたって語り継がれてきたものである。
"幸いなことに、すべての宗教には「もっとも高次の共通要因」、すなわち「永遠の哲学」がある。「永遠の哲学」は、いつもあらゆるところで、預言者、聖者、賢者の形而上学体系だったものである。人びとがよきキリスト教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、イスラーム教徒でありながら、しかも「永遠の哲学」の基本的信条において完全に一致することは、まったく可能である。"
(pp. 22-23)
ハクスレーは『永遠の哲学』(1945年刊)によって、永遠の哲学を現代に甦らせたことで知られているが、『バガヴァッド・ギーター』は永遠の哲学の観点から見ると、単にヒンドゥーの古典というにとどまらず、全人類にとって不朽の価値を有するものである。ハクスレーは永遠の哲学の基本原理を以下の四つにまとめている。
1 物質と個的意識からなる現象世界──物、動物、人間、神の世界――は「神的基盤」(Divine Ground)のあらわれである。そのなかで、すべての部分的現実はその存在を有し、それを離れて、それらは存在しない。
2 人間は推論によって「神的基盤」について知るのみならず、言説的な推論よりもすぐれた直接的な直観によって、その存在を認識することができる。この直接知は、知るものと知られるものをひとつにする。
3 人は二重の本性、つまり、現象的自我と永遠の「自己」(eternal Self)を有している。永遠の「自己」とは、内なる人、スピリット、魂のなかの神性の閃光である。そう欲すれば、人がスピリットや、それゆえ神的基盤と同一化することは可能である。神的基盤はスピリットと同一であるか、それに類似するものである。
4 地上の人間の生はただひとつの終点と目的をもっている。つまり、自分自身が永遠の「自己」であることを見いだし、そのようにして「神的基盤」との合一知に至ることである。
(pp. 14-15)
永遠の哲学では、世界の究極のリアリティは神的基盤とみなされ、それは直観によって直接知ることができる。人間は表層的自我と深層の自己(永遠の「自己」)とからなり、深層の次元では神的基盤と一致している。そして人間の究極の目的は神的基盤を知り、それと合一することである。ハクスレー自身はヴェーダーンタの学徒であったが、それと並んでインドにはギーターに代表されるような、永遠の哲学の伝統があるという。
"このため「永遠の哲学」の大半の宣言には、もうひとつの原理がふくまれている。つまり、「神的基盤」の「化身」として一人以上の人間の存在を肯定し、その人の媒介と恩寵によって、信奉者がその目標に達するのを助けられるということである――その目標とは神との合一知に至るということであり、これは人間の永遠の生命と至上の幸福である。『バガヴァッド・ギーター』はそのような宣言のひとつである。"
(p. 18)
クリシュナは人間の形をとった神的基盤の化身にほかならない。神の化身、聖者、賢者、預言者などは、人間の神的本性を人びとに想い起こさせる存在である。そうした存在に帰依することは、神的基盤との合一知に至るひとつの道である。永遠の哲学によれば、人びとが神的基盤に至る道はさまざまである。ギーターのなかでクリシュナは、知識、ブッディ、行為、放棄、離欲、瞑想、信愛といった、さまざまな道やヨーガについて語り、修行と生き方の類型を示している。とくにギーターでは、ウパニシャッドに由来する知識のヨーガに加えて、行為と信愛のヨーガが強調されている。
以下(次回4回目転載より)、『バガヴァッド・ギーター』の展開に即して、その内容を少し詳しく見ていきたい。(本文中の『バガヴァッド・ギーター』からの引用は田中嫺玉訳『神の詩 バガヴァッド・ギーター』によるものとし、章と節の番号および頁数をのみを示す。なお邦訳にあるルビは削除した。)
...つづく