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ホリステック・ライフに向けて by 中川吉晴
「行為」の道とは何か -『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- vol2
*TAO LABより
同志社大学Well-being研究センターから2021年3月29日に小冊子『ウェルビーング研究 3』が発行されました。
その冊子には当社刊『神の詩 バガヴァッド・ギーター』を引用しながら同志社大学社会学部教授の中川吉晴先生の"「行為」の道とは何か-『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- "という論文が掲載されています。
その論文を中川先生及び同志社大学Well-being研究センターのご厚意によりここに転載させていただけることとなりました。
ありがとうございます。
章単位ごとに12回に分け、連載させていただきます。
今回は2回めです。
では、今此処にいながら中川先生とともに時空を超えたギーターの旅をお楽しみください。
*2 クリシュナ
世界最大の叙事詩と言われる『マハーバーラタ』は、クル王家の同族間の戦いを描いたものであり、『バガヴァッド・ギーター』はまさに戦闘が始まろうとする場面を舞台としている。そこではドリタラーシュトラ王の百王子(カウラヴァ王子たち)を中心とする軍と、ドリタラーシュトラ王の弟パンドゥ王の五王子(パンダヴァ王子たち)を中心とする軍が対峙している。五王子の一人で総大将のアルジュナは両軍のあいだに戦車を引き出し、敵味方の両方を見ようとした。そのときの友であるクリシュナ(「暗きもの」という意味)が御者となってアルジュナに従った。クリシュナはアルジュナの従兄弟であり、クリシュナの妹スバドラーはアルジュナの妻である。ギーターの大半は、クリシュナがアルジュナに直接語りかける内容からなっているが、敵方のドリタラーシュトラ王の御者であるサンジャヤがこの一部始終を千里眼で霊視し、それをこの盲目の王に伝えるという構成がとられている。
ところで、クリシュナの生涯は、ギーター以降に成立した『バガヴァッド・プラーナー』をはじめとする文献のなかで詳しく描かれている(美莉亜, 2009; Varma, 2001)。簡単に見ておくと、クリシュナは5200年ほど前にマトゥラでヤーダヴァ族のあいだに生まれた。悪魔の生まれ変わりであったカンサ王は、ヴァスデーヴァとデーヴァキーのもとに生まれる8番目の子どもに殺されるという予言を知り、二人を囚えて、その子どもをつぎつぎと殺していったが、7番目のバララーマと8番目のクリシュナはその難を免れた。兄のバララーマとともに、クリシュナは生まれてすぐ別の育ての親のもとで牛飼いとして育てられることになった。クリシュナはバターミルクを好み、盗み出したりして、いたずら好きであった。幼少の頃から超人的な力を発揮し、クリシュナを殺そうとカンサ王が送りこんでくる魔物をつぎつぎに退治した。育ての親であるナンダがヴリンダヴァンの村に移ってからも、巨大な毒蛇を退治したり、指で山を持ち上げたりして、人だけでなく神をも驚かした。クリシュナは横笛の名人で、女たちはその音色に我を忘れた。若者になると、牛飼いの女ゴーピーたちと戯れに興じ、沐浴をする彼女たちの服を盗んで困らせることもあった。最愛の恋人ラーダーとの熱愛はよく知られている。クリシュナはカンサ王の執拗な攻撃をことごとく退け、最後は敵をすべて退治して両親を救い出した。その後もクリシュナはマトゥラを守っていくことになるが、その間にギーターで描かれているように戦乱に参加するのである。
このようにクリシュナの生涯は性愛や暴力によっても彩られている。クリシュナは、戦争と平和、愛と戦い、生と死といった対立する両面を双方とも受け入れ、生のあらゆる面を祝福として、リーラ(踊り)として生きてみせる。クリシュナには、しばしば宗教に見られる深刻さや、生の抑圧や否定がなく、生の全体がそのまま、対立は対立のままに、矛盾は矛盾のままに受け入れられる。クリシュナは生から逃避することなく、矛盾や対立もふくめて生を全面的に肯定する。したがって、クリシュナは真に多次元的な存在なのである。
クリシュナはヒンドゥー教徒のあいだでは絶大な人気を誇り、クリシュナ信仰はヒンドゥー社会でもっとも大衆化した宗教運動となっている。とくに15世紀に生きたチャイタニヤは、讃歌と踊りによってクリシュナへの献身的な愛を熱狂的に表現したことで知られている。また16世紀にラジャスタン地方の王女であったミラバイは有名なクリシュナ賛歌によってクリシュナへの燃えるような愛を謳いあげた。バクティヴェーダーンタ・スワミ・プラブパーダによって1966年にアメリカ合衆国で創設されたクリシュナ意識国際協会(ISKCON)は現在では巨大な教団となっているが、チャイタニヤの系譜を引くものである。クリシュナ信仰はインドにおける「愛の宗教」を代表するものである。
...つづく
*TAO LABより
ここのところ、とても深く感じ入りました。
「クリシュナは、戦争と平和、愛と戦い、生と死といった対立する両面を双方とも受け入れ、生のあらゆる面を祝福として、リーラ(踊り)として生きてみせる。クリシュナには、しばしば宗教に見られる深刻さや、生の抑圧や否定がなく、生の全体がそのまま、対立は対立のままに、矛盾は矛盾のままに受け入れられる。クリシュナは生から逃避することなく、矛盾や対立もふくめて生を全面的に肯定する。したがって、クリシュナは真に多次元的な存在なのである。」
ここでいう「受け入れる」「肯定」はそれらに翻弄されたり、流されたり...ビビるのではなく、その出来事に背を向けず、消化し、乗り越える大いなる意志を感じます。この世で「生きる」ということは自らの体験から「学ぶ」こと、そしてそれにより「わたし」の外側へのジャッチで終わるのではなく、内側に"愛と正義と勇気"を「育む」こと、と教えてくれています。
発刊したときからギーターの帯に一貫して使用している
"「わたし」が変わり、「せかい」が変わる"
というコピーはそのような真理を光からいただき、使用し続けています。
次回も楽しみですね!