MAGAZINEマガジン
本日の一本
石坂まさを〜「夢は夜ひらく 藤圭子の真実」
*TAO LABより
今までの人生でさまざまな方に出会いました。
お陰様でスーパーな方たちとの出会いも多く...ただし、その体験からひとつはっきりしているのは天才的な方はヒトとしてどこかしら問題のあるキャラやコトを持つ方がほとんどだということです。
エッ!?という大変な経験を与えられますが〜:)、それを差し引いても好奇心旺盛の私には超面白く、また、彼らのソウゾウ(想像+創造)に対するリスペクトは自分の中では不変不動です。
そんな交流をさせていただいたひとりに石坂まさをさんがいます。
先生との出会いは22歳の秋、半年間の研修を経て、日本コロムビアレコードの企画宣伝部に戻ってきてしばらくしてからでした。「昭和元禄カラオケ娘」のキャッチコピーで、「柳沢純子」の名で「あなたに片想い」でデビューする女の子を担当することになり、彼女の総合的なプロデュースをしていたのが石坂まさをさんでした。今思えば、経験もなく、もうひとりの新人でもある自分が担当指名されたのは先生のキャラになかなか対応出来る方がいなくて〜:)、「知らぬが仏」の私が選ばれたのでしょう。
演歌という音楽ジャンルにはいまだに興味はないのですが、そこで歌われる人間模様やそれを創る方たちの想いや願いは別です。どちらかというと、好きですね〜それは花街温泉地893と宗教の街熱海で産まれ、人的にも環境的にもそれらに囲まれて育てられたことが一因かと。なんであれ、三つ子の魂百まで、人間形成の時空を与えてくれた故郷は無条件に愛しています。
石坂まさをさんの存在は最初は藤圭子さんの歌を通して知りました。当時、子供心ながらある意味衝撃的でした。(宇多田ヒカルさんの唄、詩、歌含め〜気になる存在です。ご存知のことと思いますが、彼女を産み育てた方が藤圭子さんです。)
さらにその後、圭子さんの後ろに明るいイケイケ高度成長時代のなかでのどっぷりと重い暗い売り出し方のプロデュースをした先生の手腕だと思春期の頃に気づき、ヤバい方だなぁと記憶に残りました。
まさか、その後、出会い、仕事をともにするとは思ってもいませんでしたが...先生とお付き合いさせてもらった数年間はそりゃ〜大層大変面白かったです〜:)
思春期にズッポリとハマった作家の一人に五木寛之さんがいます。五木さんはこんな小説やコメントを書いています。
「藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを夜中に聴いた。彼女はこのレコードを1枚残しただけで、たとえ今後どんなふうに生きていこうと、もうそれで自分の人生を十分に生きたのだ、という気がした。
歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ。
(中略)彼女のこのLPは、おそらくこの歌い手の生涯で最高の短いきらめきなのではないか、という気がした。日本の流行歌などと馬鹿にしている向きは、このLPをためしに買って、深夜、灯りを消して聴いてみることだ。おそらく、ぞっとして、暗い気分になって、それでも、どうしてももう一度この歌を聴かずにはいられない気持ちになってしまうだろう。
ここにあるのは、<艶歌>でも<援歌>でもない。これは正真正銘の<怨歌>である。(中略)しかし、この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数ヶ月ではないか、という不吉な予感があった。これは下層からはいあがってきた人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸としてくり返し再生産し得るものではないからだ」
-五木寛之 小説「怨歌の誕生」-
「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃波忘れがたい。これは『演歌』でも『艶歌』でもなく、間違いなく『怨歌』だと感じた。当時の人々の心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ。このような歌をうたう人は金子みすゞ(童謡詩人・26歳で自殺)と同じように生きづらかったのではないか。時代の流れは残酷だとしみじみ思う」
ー五木寛之 圭子さんが亡くなったときのコメントー
黒いベルベット、白いギター、美しい顔立ちの10代の可憐な少女が怨歌を唄う...お茶の間に届いた石坂まさをと藤圭子がソウゾウした昭和元禄神話、愛(光)と修羅(闇)の物語、今回はピックしました。出会った当時の先生の奇人変人ぶりと同じく昔も変わらず...当事者のまだ10代の藤圭子さん、また、スタッフの皆さん、そりゃ〜大変だったと思います。
この映像により先生の原点パターンを知りました、また、裏側にある命がけの生き様にはあらためて頭を垂れます...とはいえ...やっぱ、ヤバい〜:)なぁ、石坂まさを、ジャッチは...出来ません!
コロムビアを退職してから先生に会うことはありませんでしたが、ひょんなことで純子ちゃんと再会。二人にとって強烈な存在でもある先生について楽しく語り合い、彼女にあらためて連絡をとってもらいました。で、今から10年ほど前に先生と再会しました。カラダも相当弱り、左目、失明していましたが、先生なりの「夢」と「希望」はビートを刻み、息づいており、「ソウゾウ」について当時と同じように熱く強く語ってくれました。そのセンスは申し訳ないですがレレッ???って思いましたが(笑)、先生も「凝りないクン」の一人、で、私はやっぱ、好きですよ、石坂まさを。
先生はその後、2013年3月9日71歳で肉体を離れました...同年8月22日、藤圭子さんも自ら命を絶ちました、新宿で...同じ年にという偶然に鳥肌たちますが、さらにこの翌日8月23日は関係者有志による『石坂まさをを偲ぶ会』が都内の会場で開かれる予定日となっていたというのも...会は予定通り催されたそうです。
侃い(つよい〜「強い」より二人の場合はこちらの漢字の方が合うような)縁で結ばれていた同志として、その会場に圭子さんの魂が現れ、先生の魂ともにお互いをリスペクトし合い、時には笑い、時には涙とともに話されていたら嬉しいなぁと思います。
珍しく演歌=怨歌のこのアルバム(1970年3月発売 五木さんが衝撃を受けた1stアルバム)を手に入れ、聴きながら...今回は思い出と祈り、紡ぎました。
昭和を彩った石坂まさをさん そして、藤圭子さん
ありがとうございます、安らかに。
楽しく朗らかにたおやかにのびのびとお過ごしください...合掌
純子ちゃんも元気そうだなぁ〜お花、好きなんだとあらためて知り、再会もしたいものです。