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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二
【27】 創造と天才
*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
例えば、アメリカは金があるから、アメリカへ売ると決めて物を作るとします。アメリカへ売るのだから、アメリカの特許を使って作った機械をアメリカ人が買うはずがない。それだから、発明発見の発明のところを余程しっかりしなくてはならない。これ創造力です。創造という働きは情緒を形に表す。広義に解すれば、人の動作はみな創造です。
しかし、教育でいう創造というのは狭義のもので、即ち意識的創造です。この創造は、大脳前頭葉がやっているところで、西洋人はこれについて何故できるかを知らないが、知らないながらに創造という働きをやっている。そして、創造されたものを尊重するということを、実によくやっている。日本はもっとそれを見習わなくてはいけない。
オリジナルなものを生み出すのは、天才でなければできない。ということも彼らはよく知っている。誰でも出来るものではない。日本はそれも知らない。生み出すという働きは、生み出すものを持って生まれてきた人だけにできる。教えてなるものでない。天才は生まれるものであって、作られるものではないのです。これを知らなくてはいけません。しかし、そこまでいかなくても、知的な働きを良くするということ、これはできる。
*解説27
2017.11.09up
「西洋人は創造が何故できるか知らない」と岡はいっているが、これをいったのは多分人類の中でも岡潔1人だろう。それは何故かというと、「無差別智」の存在を西洋は全く知らないからであるし、もう1つはもう少し後でわかってくるのだが、「真の創造は前頭葉ではなく頭頂葉で行なわれる」という岡の大脳生理も知らないからである。
しかし、「創造されたものを尊重するということを、実によくやっている」と岡のいうように、西洋はオリジナルなものへの敬意と尊重は決して忘れない。これは大脳前頭葉の働きである。「彼等西洋人は学問芸術を命よりも大切なものだと思っている」という岡の言葉もある。
更に「オリジナルなものを生み出すのは、天才でなければできない」という岡の指摘も日本人はよく嚙みしめるべきである。一般の人はみずからが天才を目指そうとするよりも、真の天才を見分けることの方が大事である。「学問芸術は作り出すことよりも、わかることの方が大事である」と岡はいっている。
真の「創造」とは暗闇で関心を長く持続しなければならない厳しい世界であるし、貴重な発見をしても誰もわかってくれない孤独な世界でもある。それに耐えうる人のみが真に「天才」と呼ばれるに値するのであるが、そういう意味で岡潔は桁違いの「大天才」である