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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二
【26】 大和少女(やまとおとめ)の恋
*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
終戦後、5年ほどして亡くなった人に、折口信夫しのぶという人がある。彼は非常に偉い国文学者、民俗学者で、とても上手な歌詠みでしたが、この人が、
大和少女よ、大和少女の恋をせよ
と言い残している。大和少女の恋というのは何かというと、情緒が内容である恋、ということで、感覚が内容であってはならないというのです。
実際、江戸娘なんかは、うまくいかなかった場合、恋わずらいで死んだりした。一目見ただけで情が通じ合いますから、時として、一目相見てその印象が強く焼きつく。そうなると、家に帰ってからも前頭葉は灼熱的にその人を求める。しかし、身近にその人はいない。
こうなると、情緒の中心の調和がまるで壊れてしまう。情緒の中心は全身を支配しているから、全身の調和がうまくいかなくなる。とりわけ、胃は全く狂ってしまって、全然食物を受けつけない。それでいつまでも、そういう不幸な状態、求める人が外界にいない、しかし、求める方はやめないという状態が続くと、飲みものも受けつけないから、短時間に弱っていってついに死んでしまう。江戸娘の恋わずらいの死に方です。
ところが、明治になって、物質主義が入ってきた。女性の情緒も濁って、それ以後、恋わずらいで死んだというのを聞いたことがない。薬なんか使うのは別ですが・・・
*解説26
2017.11.09up
「江戸娘の恋わずらいの死に方」なんて今時聞いたこともないが、いわれてみれば想像ぐらいはつきそうである。私は江戸娘ではなく昭和男であるが、「一目見ただけで情が通じ合う」という経験は私にもある。
そういう経験はたとえ失恋に終ったとしても、人生を大きく支えるものである。私は東京で山梨県出身の青柳安恵という女性と知り合ったのだが、丁度岡を読みはじめた頃であり日本女性の心の美しさは十分わかっていた。その時にその適例を見せてもらった訳だから、実際これほどまでの女性がいたものかと感動したことを今も忘れない。
女性については私の不徳のせいで良い思い出ばかりではないが、その女性との恋が岡潔を学びつづける1つの源動力になっていたことは間違いない。因に、その20歳頃の彼女のあだ名は「イチゴちゃん」であった。「今、新鮮な果物のような気がする女性にはほとんど会わない」と岡は「教育の原理」に書いている。