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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二
【25】 感覚と情緒
*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
情緒と感覚とどう違うかと言うと、今の印象でもわかるでしょう。もっと、はっきり言うと、例えばフランスは緯度が高いですから夏が愉快である。それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。こんなふうになる。日本人はそうではない。日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどり趣があって良い。こんなふうで全て良いとする。
もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴らしい景色だと思っても、2度目はそれ程だとも思わず、3度目は何とも思わない。こうなっていく。感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなくてはならなくなります。ところが情緒ですと、そうではない。例えば、時雨ですが、大体情緒でなければ時雨の良さはわからないが、時雨のよさがわかり始めると好きになる。聴けば聴くほど、だんだん良さがわかっていく。そうするとだんだん好きになっていく。そうして、良さがわかり好きになっていってきりがない。
*解説25
何と素晴らしい指摘ではないだろうか。あまりにも「理に尽きたるもの」だから、私は言葉を失うのである。文化にまつわる大概の問題は、この一文で全て解決するといっても過言ではない。私がこれを読んだのは多分40年以上前であったのだが、岡の言葉のはなつ光彩は今も全く色褪せないのである。
岡のいう「情緒」があまりよくわからないとよく耳にする。しかし、ここにその簡潔な回答があるではないか。しかも日本はその「情緒の文化」を今に持ち伝えていることを、後生の我々は再認識するべきである。
そして責務として、それを世界に広めていかなければならない。これが「クール・ジャパン」の根拠、つまり日本文化の「心臓」である。
参照・講演録(22)の12