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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二

【22】 情と愛

*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
 日本人は、人と人との間によく心が通じ合い、人と自然との間にも、よく心が通じ合うんですが、フランス人には、この通いあう心というものがない。

 この通いあう心が〝情〟である。このことは、フランスにいるうちにつかまえたことだが、帰ってきてから、英米はどうだろうと思って和英をひいてみた。情とひきますと、フィーリングとかエモーションというものしかない。これは意識の表層の波のようなもので、とても、深みのある通い合うという心の情ではない。ドイツでは、感情のことを取り扱っているのは、哲学者フィヒテですが、フィヒテの指す彼方にも情というものはない。

 総じて、欧米には情という言葉がありません。日本民族は情でつながっていますが、欧米はどうかというと、集団欲という本能でつながっているのだというのです。この集団欲の特徴は、スキンシップだという。スキンシップというのは、膚と膚の触れ合い、握手、接吻、抱擁、そういったものですが、そんなもので人がつながっている。

 夫婦は愛情でつながっている。しかし、小我を自分だと思っているから自他対立している。愛情というのもその間に動く感情であって、何かの時に、その愛は一瞬にして憎しみに変わる。仏教では、この感情を愛憎と言うのですが、欧米では、夫婦はこれでつながっている。「私は、あなたを愛します」と絶えず言ったり、接吻、抱擁、そんなことを繰り返してはやっとつながっている。そして、何とか言っては、さっさと別れてしまう。まるで、破れた草履のごとくお互いに捨てあう。

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*解説22
2017.11.09up
 ここも非常に説得力があるところである。日本人の人間観は「情」であるが、西洋人のそれは「愛」と「スキンシップ」だというのである。よくぞここまで人間観の違いを追い詰めて行ったものである。

 戦後日本では西洋の影響を受けて、「男女」とか「夫婦」の問題が非常に複雑になってきているように思うのだが、それを解決するヒントはこの辺にあるのではないだろうか。

 簡単にいうと日本は「情」であり、西洋は「愛」ということになるのである。日本には昔から「男女の情」「夫婦の情」という言葉があるのだが、この「情」とは深い情、無私の情のことである。だから男女がそれぞれの立場からお互いに「尽し合う」のが日本の「情」であって、これはいざとなれば日本歴史が示すように命を捨てる「自己犠牲」に結びつくのである。

 毎回いうことだが、こういうのをただ古臭いと取るから、いつまで経っても問題が解決しないのである。西洋のように「浅い情」から生まれた愛と憎しみやスキンシップ、はたまた自己犠牲はまっぴらだという考え方では、しみじみと充ち足りた日本の昔からある男女関係は生まれるはずはないのである。

*岡潔思想研究会
http://www.okakiyoshi-ken.jp/index.html

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