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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二
【6】 何故運動できるのか
*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
見るという働きはどうしてできるか、何故見えるのか、というと「無差別智が働くから見えるのだ」というのです。これは無意識裏に働く。だから、働いているということを知らない。その効果も一時に出てしまう。アッと思ったら見えてしまっている。だから、無差別智もわからない。それで、眼をあけると見えるのが不思議だと思うのです。でも普通、不思議だと思うべきを、それさえ思わない人が多すぎるようです。
ところで、4種類あるそのどれが働くのかというと、4種類ともに働くのです。人は生きているから知覚運動をする。その知覚のうちで根本のものは、見るという働きですから、それについて説明したわけですが、おそらく外も同様でしょう。
知覚の方はそれくらいにして、身辺のことのうち、運動を見てみます。私、今、腰かけています。立とうと思うとこのように立ちます。これ又、当然不思議と思うべきはずです。全身四百いくらの筋肉がある。それらが統一的に働くから立つことができた。考えれば考えるほど不思議ではないですか。立つという動作はいろいろあって、決して1つではない。スックと立つのもあればフラフラと立つのもあり、今、私がしたように立たんがために立つのもあります。
これ、不思議と思うのは、無差別智のような知力があることを知らず、理性のように順々にわかっていくような知力しか知らないからです。これも無差別智の働きで、但し、これは、見るという働きよりも、随分簡単とみえまして、唯一種類の無差別智しか働かない。それは、妙観察智(宋音だから濁る)です。
*解説6
2017.11.09 up
これほど生物の「運動」に関しての根本問題を考えた哲学者が、東西を通じて外にいただろうか。これは古来仏教が考えてきた問題であるから、岡一人の功績ではないのかも知れないが、現代にも通じるように科学者の立場から「無差別智」を詳細に説いたのは、岡一人であるといっても過言ではないのである。
さて、「運動」であるが、「運動は簡単と見えて妙観察智がただ1つ働く」と岡はいうのだが、400もの筋肉が同時に統一的に働くという私自身の体を考えてみても、更にまた我が家に遊びにくる小鳥や昆虫の想像を絶する運動の有様を観察してみても、この「妙観察智」の不思議さは私の中で増大する一方である。また、日本の古来からある武道の極意も、この「妙観察智」から生まれたものなのである。
今はロボット工学が進んでその現場では、生物の運動の不思議さが次第に明らかになってきているとは想像するのだが、本来ロボット工学は物質科学であってロボットの運動は、400もの筋肉の統一的な働きから生まれるものではなく、ただ単にいくつかの関節の機械的運動の結果に過ぎないのだから、岡の理論のように生物の運動の根本原理を説明するには程遠いものなのである。