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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二

【13】 天眼と六道輪廻

*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
 仏教では、"五眼"、ということを言います。五眼というのは、下から数えて、肉眼、これは肉眼のことです。その上が、天眼、その上が慧眼、その上が法眼、その上が、仏眼、こう言います。簡単にいえば、無差別智の働きで、このうち、法眼と仏眼とは仏を見る眼です。不完全には法眼、完全には仏眼で見ます。

 仏は自然界にはお住まいになっていない。仏のお住まいになっているところを心霊界というのです。この心霊界にお住まいになっている仏を、法眼とか仏眼で見ることを見仏という。決して、自然界にお住まいになっている仏を肉眼で見るのではない。今、ここで言いたいと思っていることは天眼のことです。

 仏教で、六道輪廻ということを言う。6つの道をぐるぐる廻る。廻る六道とは、上から数えて、天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道というのである。このうち、畜生道と人道とだけは、肉眼でわかるが、他の四道は肉眼では見えない。これを見る眼は天眼です。この六道輪廻というのは、ごくまれに出る、といっても、今から数えると、相当数にのぼっている高僧達が、天眼によって、実際に御覧になったところを書き記しているのであって、架空のことではない。道元禅師は、生粋の日本人らしい日本人ですが、六道輪廻が本当にあるということを信じなければいけない、と厳しくおっしゃっている。

六道輪廻.jpg

*解説13
2017.11.09up
 「六道輪廻は天眼という眼で見える」という風に岡はいっているが、その「六道」は今の我々には甚だなじみの薄いものである。しかし、これも心理学的に「知情意」で説明できるのである。特に天道、人道を除く四悪道を対象にとってみる。

 先ず修羅道であるが、修羅道はこの世は本来激しい闘争の世界であるというのである。真我の世界から見ると、この世は助け合いの世界であるが、その逆である。この対立、競争、闘争は「意志」の世界であるから、修羅道とは「意志の異常」の世界なのである。

 次の畜生道であるが、これは目にみえる動物界のことである。しかし心理学的に見れば、後に出てくると思うが哺乳類の特徴である、自分と自分の家族以外に対しては全く無関心であること。徹底した「マイホーム主義」のことである。

 人は本来わけへだてなく人の喜びを喜びとし、人の悲しみを悲しみとするものであるが、その感性が全く働かないのである。だからこれは「情の異常」といえるのである。

 次は餓鬼道であるが、岡はある録音でこういっている。「いま金餓鬼、ボス餓鬼が非常に多い。大抵、金餓鬼、ボス餓鬼は色餓鬼を兼ねています」と。笑ってしまいますが、これは小我の価値観(知)である金銭欲、権勢欲、性欲を人生の最大の目標とすることであって、これを岡は「知の異常」というのである。

 最後に地獄道であるが、これは一言で「知情意の全てにわたる異常」といえるのであって、特に「非情」と「残酷さ」がその特徴である。
 猶、天眼であるが、ここで岡は「高僧達が、天眼によって、実際に御覧になった」といって、天眼を相当高い能力としているようだが、これより4年後の1971年には大分ニュアンスが変わってくる。次にそれをご紹介する。

「葦牙」第4号より。
 (質問) 魂というのは、特殊な能力を持った人に見えるのですか。
 (岡) 天眼で見えます。そんなに高い能力ではありません。あれは極低いものです。
 (質問) 透視というのがありますね。
 (岡) 天眼です。ああいう動物的能力を喜ぶ癖が人間にある。それが迷信をはびこらせる。困ったことです。

*岡潔思想研究会
http://www.okakiyoshi-ken.jp/index.html

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