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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二
【14】 小我と日本国新憲法
*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
ところで、日本国新憲法の前文は、小我こそお前である。それは万古の真理である。尊厳な事実である、と言って、これによって、憲法・法律を作っている。そして、これを裏打ちするに、アメリカ人デューイの思想をもってし、それによって、社会通念を作り、さらに新学制をしき、以来、今日なおこれを大事にし続けている。それから20年にもなる(1967年当時)。この日本国新憲法の前文は、1300年もの間、仏教が言い続けてきたこととは正反対、それが、たった明治以来80年でケロッと忘れてしまうというのはおかしいことです。
新憲法の前文では、人が、自己中心に行為する姿は尊厳であると言っている。こんな馬鹿なことを思う日本人があるはずがない。日本において、善行といえば、人のためにする行いであった。自己のためにするという匂いが少しでもすれば、日本人はそれに対して実に敏感であった。自分はエゴイスティックに振舞っても人に対してはそうであった。
それが、戦後わずか20年で、自己中心に行為する姿が尊厳である、などという作文のできる日本人がいるはずがないと思って、だんだん調べていってみると、進駐軍が示唆して、アメリカ憲法から取って文章を書き、これに日本国新憲法前文という表題をつけさせたらしい。後も進駐軍の示唆や命令ですし、戦後20年の歴史は、この1つの事実によって要約できるくらいです。
*解説14
2017.11.09up
現在の政界でも改憲論議がくすぶっているのだが、大方のマスコミや野党各党は従来どうり「平和憲法の改悪は絶対反対!」である。なんということだろう、「平和憲法」が聞いてあきれる。そもそも「人類はいまだ野蛮なん!」と岡はいうが、兵器を使ってボタン1つで多くの人を殺すという、野蛮の頂点にいるのが今の人類なのである。
特に「平和憲法」とは裏をかえせば「自衛」を軽視するということである。そうすると、この熾烈な国際情勢の中で日本だけが丸腰しだということになる。これでは憲法とは国を守るものではなく、国を潰すものだということになってしまう。
実際、世界各国の憲法は「国の団結」を真先に挙げているのだが、日本の憲法だけは「国の団結」を全くうたっていないという岡の指摘は当っているし、一部野党はなぜか長年そういう方針を貫いている。
しかし、この岡の憲法論をよく読んで頂きたい。「平和憲法」「国民主権」と皆があがめ奉っているものが、岡から見れば「人が自己中心に行為する姿は尊厳である」といっていることになるのである。つまり「エゴイズム」。
「憲法にも不備な点がある」とか「時代に合わなくなってきた」などという次元の問題ではないのである。そういう人は「エゴイズム」が日本国憲法の実体だという認識がまるでないのである。岡が最も畏れたのは、これを放っておくとやがてその「エゴイズム」が日本全体に広散することである。実際戦後の日本はそうなった。
あまたの憲法論の中で、憲法の理念をここまで掘り下げた人はいないのだから、この岡の憲法論を読んで改めてもう一度、国会で真剣に議論して頂きたいものである。 参照・講演録(17)の15