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「民族の危機」岡潔 解説:横山賢二
【29】作れ「子を守る会」 (ひどい日教組の教育)
*昭和44年(1969)1月 - 2月 大阪新聞より
現在の日本の教育、特に日教組の教育は、わかればわかる程ひどい教育である。日本国民の大多数は子や孫を持っていると思うのであるが、あなた方は可愛い子や孫が小、中学校で、こんなひどい教育を受けているのであるということを早く知って欲しい。
大脳頭頂葉の発育不良は、私は小、中学校の季節が過ぎれば直せないと思うし、この季節に入った頭頂葉の穢れ(主義は偏見、これは穢れである)はちょっと取れないと思う。大脳前頭葉もその季節が過ぎては発育させにくいと思う。
あなたの子や孫が取り返しのつかない悪い教育を受けているのであると気付いたら、立ち上がって「子を守る会」を作って下さい。1億の国民が、わずか50万の日教組に振り回されているのが現状であるが、これは憲法が約束している主権在民の政治力を少しも使わないからである。
日本は病人にたとえると横隔膜の病気である。ここが生気を失ってしまったのである。こうなると肺も、心臓も、胃も、腸も、よく働かなくなって、やがて死んでしまう。病膏肓に入るとはこのことである。
古事記でいうと、始祖三柱の次に、国稚く浮き脂の如くにして海月なす漂える時に、葦牙(あしかび)のごと、萌え騰あがるものによりて成りませる神の名は、うましあしかびひこじの命、次に天の常立の命の二柱、この五柱が別天ことあまつ神とある。葦牙とは葦の芽である。別天神とは取り分け目に見えにくい神である。
打ち続く物質文明の進入のために、ここが弱ってしまったのである。「子を守る会」もそうであるが、私は全般にわたって、民族精神を下から盛り上げて、日本を再生させるために、「葦牙会」を提唱したい。
葦牙=植物。葦の若芽
"葦牙のごとく萌えあがるものによりてなれる神の名は"〜古事記 上
*解説29
2014.06.11up
岡はここで「子を守る会」を提唱し、更に日本の再建を期して「葦牙会」を提唱しているのだが、この2つの会はその後どう推移したのだろうか。
岡の生前に側近の1人であり岡と度々活動を共にし、岡が亡くなってからは岡の膨大な資料の収集整理と、岡の録音テープを活字化することに長年携ってきた、奈良在住の松澤信夫さんに聞いてみた。
「子を守る会」は実際に会員が集まり、正式に会が発足したという記憶はないと松澤さんはいう。当然ながら岡のこの発言には日教組の猛反発があったのは事実であるし、ましてこの頃を境にして岡の出版は止まり、「岡潔」の名はいつのまにか日本から消え去ってしまうくらいだから、「子を守る会」は単に岡の提唱倒れに終ってしまったようである。
しかし、「葦牙会」の方は当時としてはそこそこの反響を呼び、大阪と東京にそれぞれ200名前後の人達が名簿に名を連ね、当初は活発な活動を展開したのであるが、諸々の事情から2、3年のうちに次第に衰退し、ついには30名ほどの人達が細々と岡の話に耳を傾けるだけの会となってしまったのである。
岡本人にとってみても、当初の「葦牙会」は岡の理想からは程遠い内容の会であったようで、ついには岡はその「葦牙会」を解散し、1973年には「春雨村塾」として先程の30名程で再出発することになるのである。
しかし、細々とでも少数の会員が集い、時には10人を下回る時もあったが、岡の話に耳を傾けたことにより、結果的に岡の肉声の録音が残ったことは、我々にとっては掛け替えのないことである。
実はこの録音だけでなく、京都産業大学の講義(季刊誌「真情」に連載中、詳しくは「研究会情報」参照)の録音も相当な数に上るのであるが、これによって晩年大きく変貌する人類の宝庫ともいえる岡潔の思想が、辛うじて後世に残ることになったのである。