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「民族の危機」岡潔 解説:横山賢二
【28】中共の属国になっても? (何でもかでもの〝安保反対〟)
*昭和44年(1969)1月 - 2月 大阪新聞より
日教組、高教祖の六割と云われる共産主義の先生達の云う通りにすると、日本民族は一体どう云うことになるのかを考えてみよう。
まず安保条約なんかはいらないと云うことになるだろう。奈良の女子大生の安保問答はこんな風である。
「安保がなくなって中共軍が入って来たらどうなるの」
「そんなこと考えなくてもよいやないの。ともかく反対すればいいんやないの」
彼女らは多分小学校以来、何でもともかく反対せよと教えられたらしい。
まるで「童心の季節」を過ぎただけの子供と同じことである。まだ自我と云うものさえ出来ていないのである。まるで前頭葉不在である。前頭葉と云う口なしに頭頂葉の育つ筈が無い。
こんな浮動票が非常に多いから、もちろん安保は反対されて否定される。そうすると中共軍の侵略を防ぎ得ないことは算数的に明らかである。中共の属国になっても、チェコのソビエットに対するが如き関係を保ち得るかと云うと、チェコは創造も出来るし、マネイジメントも巧く行く。
しかし側頭葉しかない大学卒業生に出来るのは人真似だけだし、他の欠点をさがし出しては嫌悪感を起こすことばかり練習させられており、昔で云えば小人達をマネイジする方法はないから、日本民族は一国を作っている力がなくなる。そして段々中共人と雑居するようになって、蝦夷の如くなり、やがて痩やせ細ってアイヌの如くなるだろう。
あなた方は三々五々、小部落を作って、大英雄秀吉の叙事詩をユーカリのようにうたっている日本民族を想像しても、胸が痛みませんか。
解説28
奈良の女子大生が「ともかく反対すればいいんやないの」とは誠におもしろい情景である。考えてみれば戦後の左翼系の政党や労働組合の論法が、大概これと同じではなかっただろうか。彼らのオハコはこの「嫌悪感」と「何でも反対」だったのである。
それともう1つ気がつくことは、彼等の口振りの端々から伺える「上に立つ者はどうせ悪いことしかせん!」という決り文句であって、誰に教えられたか彼等は本当にそう思い込んでいるらしい。
しかし、その考え方は「上に立つ者は何でも勝手にできる」という西洋の「力の思想」から生まれたもので、それが共産主義の誕生理由でもあるが、日本の「情の世界」では全くそれは通用しないのである。
日本では上に立つ者(例えば経営者)は自らのことよりも、従業員の生活を何としても守ろうとするのが相場である。いや、「だった」という方が当っているかも知れない。これは松下幸之助の語録を読んでもわかることであるし、つまるところ日本の天皇制についても実は同じことがいえるのである。
次に「側頭葉しかない大学生には創造力もマネジメントも巧くいかない」と岡はいうが、岡がそういってから大分経って近年政権をとった社会党や民主党の政権運営の有様を見ると、やはりこの2つの条件が働いていたとはとてもいえないのではないだろうか。
更にまた「こんなことをやっていると、中共軍の侵略を防ぎ得ない」ということも近年急速に現実味を帯びてきた。よくいわれる「成熟した近代国家」どころではない、「人類はいまだ野蛮なん!」と岡はいうのである。我々はそれを前提にして、日本の国の有り方を今一度考え直さなければならないのではないだろうか。