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「民族の危機」岡潔 解説:横山賢二
【27】道義と理想 (学問は大学三年から)
*昭和44年(1969)1月 - 2月 大阪新聞より
教育を終りまで話してしまおう。私は三高へ入ったのだが、旧制高等学校は(今でいえば高校3年大学1、2年)自分で道義や理想を作る期間である。私は人はこの二本の足で人生を歩いて渡るのだと思っている。
私は漱石から道義を教わった。たとえば「猫」の一節にこう云う会話がある。苦沙弥先生「あいつ等は君子じゃない」あいつ等と云うのは向いの中学生である。迷亭「君は君子か」とじっと目をのぞき込む。流石の苦沙味弥先生もこの不意討ちにはたじたじとなって、「僕は-自分を-君子-だと思っている」と切れ切れにやっと答える。すると迷亭は突然「偉い」
私は漱石に教えられて自分なりの道義を作って行った。大脳生理学的に云えばこれは前頭葉の抑止力を強くするのである。理想と云うものは芥川に教わった。創作「秋」で彼は副主人公に「人生はボードレールの詩の一行にだも如かない」と云わせている。私は成る程美とか、真とか云うのはこう云うものかとわかった。そして段々自分の理想を掲げて行った。大脳生理学的に云えば、これは前頭葉の感情意欲の働きを強くしたのである。
日本は明治の初めに学問恐怖症にかかったらしい。その為未だに大抵の日本人は学校とは学問を教える所と思っているらしい。しかし実際は学問を記憶として側頭葉へ詰め込んでも少しも利かないのである。薬として利かす積りならば、前頭葉と云う口から入れて知的情緒に変えさせ、その素もとを頭頂葉に吸収させなければいけない。この学問に対する迷信が、無茶な教育を平気でやらせているらしい。
頭頂葉も前頭葉も側頭葉も出来上がってから学問をさせるのである。頭頂葉は人、前頭葉は手のようなもの、側頭葉は手が持つ道具である。まずこれ等を作らなければならぬ。学問をさせるのは大学3年からである。
*解説27
今あまり使われなくなった「道義」と「理想」という言葉だが、この2つの言葉は実は 「私(自分)」というものを入れては成立し得ないものである。つまり「無私の心(第2の心)」から生まれるものが真の「道義」であり、「理想」なのである。
例えばよく引く例なのだが、法律を守らなければ罰せられるから、そのために法律を守るのだと思っている人がいたとする。しかしそれだったら、法律を守るのは「自分のため」である。それは「道義」とは違い、「法の順守(コンプライアンス)」である。
しかし、法律を守るのは当然のことながら、「人様のため」ではないだろうか。「人様のため」には、これだけはやってはいけないと抑止する。これが真の「道義」であり「道徳」である。だから「道義」は一見あいまいではあるが「法の順守」よりも更にきめが細かいのであって、成文化されてないことでも人様に少しでも迷惑なことは全て抑止するのである。
また逆に成文化されていることでも、現実に合わなくなってしまったことが時としてある。その場合も「道義」であれば「人様のため」という大原則から柔軟的に対処できるのであるが、そういうことに氣づいてない人が今多いのではないだろうか。
因に我々日本人の日常の生活をよくよく観察してみると、日本人は「法律」の中に住んでいるといいながらも、実はこのような「道義」の中に住んでいるように見えるのである。これが他国にはない日本社会のズバ抜けた安定性の源となっているのである。
一方「理想」についても同じことで、今は「アメリカン・ドリーム」という言葉の影響からか、一般には「夢」という。日本人の好きな言葉である。しかし今使われている「夢」といえば例えば、宝くじに当る夢、スポーツの有名選手になる夢、キャリアーを積んで実業家になる夢など、全て「自分のため」の願望を「夢」といっているようである。
しかし本当の「理想」とは「無私の心」から生まれるもので、自らのことは捨ておき何か1つでも人様や社会に役立ちたいと「志」を立てることこそが、これが真の「理想」といえるのではないだろうか。昔はそれを「真・善・美」といったのである。