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「民族の危機」岡潔 解説:横山賢二
【10】よい胎教が必要 (短時間でも清く高い心境へ)
*昭和44年(1969)1月 - 2月 大阪新聞より
母親は、よい子が宿れば、よく胎教しなければならない。人の頭で一番大切な部分は大脳頭頂葉である。これは頭の一番上の部分である。正直の頭こうべに神宿るといわれているのはここである。
すべて人の世を高くはなれた崇高なもの、悠久なもの、理につきたもの、なんとも不思議なもの(真善美妙)はみなここに宿るのである。胎教は胎児の頭頂葉の教育である。方法は毎日時間を決めて、一時間ぐらい、心を人の世を遠く離れた清く高い境に遊ばせるとよいのである。
一例をあげると、フランス夫人がみごもった。日曜日にカトリックの教会へ行っていすの列の端にこしかけた。ふと横の壁をみると一人の天使の画がかかっている。それがいかにも神々しく見えた。それで教会が開かれている間中、じっとその画像に見入っていた。
次の日曜にもそこへこしかけて、ただその天使に見入っていた。次の日曜にもそうした。そんなことが児を生むまでつづいた。生まれた子は女だった。小さいときから非常に宗教心が深く、ついに尼僧になって僧院にこもり、信仰の道深く分けいったということである。
人の子は生後3ヶ年で、家庭という環境からとって、自分の中核をつくってしまう。いわば自分が生涯その中に住む絵の下がきをしてしまうのである。こういうことをする前に、その子にはどういう絵を描こうかという意図が既にあるはずである。その意図を育ててやるのが胎教である。よい胎教をしないということは、悪い胎教をしているということである。
*解説10
2014.04.16up
今もそうかも知れないが、一昔前「胎教」ということが声高に叫ばれたことがある。しかし、どうも岡のいう「胎教」とはどこか違っているのである。それはなぜだろうか。
私が考えるにそれは、大人の論理である競争原理から生まれた「早期教育」の必要性を、母親のお腹の中にまで持ち込んだだけではないだろうか。つまり受験競争に勝つために人よりも早く「早期教育」をするという、大人社会の論理が見え隠れしているのである。
しかし、岡のいう「胎教」とはそうではなく、「その子にはどういう絵を描こうかという意図が既にあるはずである」というように、その子供の前世から持ち越した潜在識(第8識)に刻まれている真の個性を開発する意味であって、その子供の人格形成の根本を誤りなく育てるということに尽きるのではないだろうか。
大人は得てして教育を「損得」や「実利」で考えがちだが、それをすると教育はメチャになる。教育はどの時期でもいえることだが、子供が小さい頃は特に「目先のこと」に捕われては健全な教育を誤ることになる。