MAGAZINEマガジン
「民族の危機」岡潔 解説:横山賢二
【1】均衡を欠く日本 (共産化した大学自治会)
*昭和44年(1969)1月 - 2月 大阪新聞より
日本民族は狭い島々にいっしょに永く住んでいる。人には必ず両親がある。両親にはそれぞれ両親がある。それで900年遡さかのぼれば、一番遠い祖先の数は1億になる。2000年遡れば天文学的数字になる。昔は日本の人口は1000万か500万ぐらいであっただろうから、日本民族は全体が非常に濃い血縁なのである。
それが1つの国をつくって、この狭い島々に仲よく住んでいるのである。他に行く所とてもない。
ところで、終戦後の日本の有様を見ると工業的生産力においては、いまや世界第3位である。やはり勤勉な国民だと思って、大いに心丈夫になる。
しかし精神面はあぶないところばかりが目に付く。これはたとえていえば船がいま大海の真中にいて、エンジンだけは丈夫であるが、船体はぼろぼろで、いつ浸水するかわからないようなものである。
エンジンだけでは、大海は渡れない。危いなあと思っていると、はたして大浸水が起こった。いま日本という舞台で演出中の大学生劇がそれである。これはいま演出中で、見ようと思えば誰にでも見えるのだから、よく見ておいてほしいと思う。
輪郭をいうと、いま日本に大学生が130万くらいいる。ところが、大学自治会は、ほとんど全部が共産主義である。彼らの行動はどんな風かといえば、東京でみんながメキシコのオリンピックで、日の丸が1本でも多くあがればよいと思って、テレビに食いいっている最中に、「祖国ソビエット」と叫びながら、日の丸を焼いたのである。これは、大学生という地域全体に、浸水したようなものである。まずこの浸水に関してよく考えたいと思う。
*解説
2014.03.07up
岡が日本に警鐘を鳴らした社会的背景がここにある。終戦後、日本とは全く違うアメリカ文明が怒涛のごとく流れ込んできた。これは岡のいう「第1の心」、つまり自己本位が根底にある文明の典型である。そして先ず憲法、それから法律、社会通念、教育原理等々が全く変わってしまったのである。そこへそれに対抗して、同じく「第1の心」の左翼系の学生運動が追い打ちをかける。私は1951年(昭和26年)生まれであるから、この新聞記事の頃は丁度岡と出会った時であり、大学受験の時でもあった。私の友人も学生運動に走る者がいて、それが進歩的で流行の時代であった。
しかし、私は学生運動には全く関心がないばかりか、一種の反感さえ感じていた。それは出会ったばかりの岡先生の影響もあったとは思うが、そのずっと前から国語の先生であった私の高校の恩師、内田八朗先生の影響があったのである。
内田先生は高知学芸中学、高校(1988年の上海列車事故で有名)の建学の父として当時の受験勉強一遍倒の教育界に異議を唱え、実践的教育論として「全人教育」を提唱すると共に、「学校とは勉強するところではない、人に勉強させてあげるところだ。勉強は家でもできる」が口癖であった。考えてみれば「社会」というところも同様ではないだろうか。
だから当時の学生運動にもいろいろあるだろうが、内田先生の考え方は革命の名のもとに授業を一方的にボイコットし、先生達に喰ってかかる私の見た学生運動とは正反対の「第2の心」から生まれた考え方だったのである。