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本日の一冊

述語制言語の日本語と日本文化

昨年お世話になったカナダ在住の金谷先生
昨年終わりに鈴木先生と金谷先生の慶応大学でのジョイントに続くセミナー行えたらと思っていましたが、それぞれのタイミング合わずで結果、実現しておりません。

その間に金谷さんは新著(今まで書いていた論考)をまとめておりました。

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述語制言語の日本語と日本文化
著者 : 金谷武洋

*本書の説明
日本語文法の近代一五〇年の誤りを問う!
英語の主語制言語に対して、日本語の主語なき述語制の構造を明らかに示し、その日本文化を明証にする。

出版社からのコメント
日本語文法が主語のある英文法の引き写しによって根源的な誤 りを犯している。印欧語の構文構造と日本語のそれとを対比さ せ、日本語の本質から世界の言語理論へ寄与する通道を開く、 カナダ在住の著者の渾身の、日本で話題となっている金谷文法・ 言語論の明晰な本格論述。そして、助動詞の受け身・使役の連 続する関係の本質を解き明かす。などなど。 これを読まずして日本語は語れない!

*転載「あとがき」
 本書をもって私の日本語構文論はほぼ紹介し尽くせたと思うので、さらに付け加えることはないのだが、これまでに出版された10冊ほどの著作に関して何度か耳にした反応をここで紹介し、部分的ながら私の答えも述べてみたい。それは、「日本語の持つ共視という思想が世界を平和にするきっかけになりうる」という私の主張に関するものだ。(「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」飛鳥新社:2014、文庫版は飛鳥新社:2018)

 こういう反応が聞こえてきたのである。「それならば、何故真珠湾攻撃に始まるあの不幸な戦争を日本人が起こしたのですか。東条英機を始めとする「大東亜共栄圏」の主戦論者も日本語を話していたでしょう」

 確かにその通りであり、こうした反論を私は完全に論破することはできない。できはしないものの、部分的にはこう答えたいと思う。「実は、その当時は日本語が自分の本来の姿を失っていたんです」と。
  
 日本語がおかしくなったのは(1)漢語と(2)他動詞構文をやたらと使うことになったことである。太平洋戦争中にスローガンのようにマスコミで使われた言葉を調べてみると「八紘一宇、五族協和、大東亜共栄圏、米英鬼畜、挙国一致」などが出てくる。こういう言葉には「心が籠って」おらず、ただお呪いのように繰り返されて日本の民間人は洗脳されていったのだ。軍歌と旧制寮歌は漢語の多さという点で共通していると指摘したのは渡部昇一の名著「日本人のこころ」(講談社現代新書:1974)である。渡部は日本語における漢語と和語(やまと言葉)の使い分けに注目した。そして、「気持ちが外向きで攻撃的になっていればいるほど、日本人は漢語を使う」と指摘した。そう言えば優しい気持ちになっている時にふと口をついて出てくるフォークソングやわらべ歌、民謡や演歌にはほとんど漢語が出てこない。

 漢語と並行して他動詞構文も多用される。戦時中のスローガンと言えば上の漢語表現以外にも「撃ちてしやまん」「欲しがりません、勝つまでは」「生めよ増やせよ」などが思いつく。赤ん坊は「生まれて」(自動詞)くるものではなく、戦時中には国策として、人口を「増やす」(他動詞)ために「生む」(他動詞)ものと変わってしまっていたのである。「欲しい」(形容詞)なら自然の気持ちだが他動詞の「欲しがる」には意図が感じられる。

 実はこれと同じ傾向がナチズムの影響下にあったドイツ語にも見られたのは興味深い。そのことはV. クレムペラーが「第三帝国の言語」(日本語版は法政大学出版会:1974)の中で書いている。ヒトラー政権下で多くの他動詞が新たに出現したが、それは接頭辞ent-を含むものだった。この接頭辞は「分離、選抜、隔離」の意味を付加するものである。例としてentdunkeln(暗幕を取り除く)、entbitten (苦味を抜く)、entrümpeln(がらくたを取り除く)などが挙げられている。

 日本語の様子が何かおかしいと感じられたらそれは一種の「J-ALERT」と考えていいだろう。日本語がしっかりしている限り、日本は基本的に大丈夫で心配無用と私は思っている。それよりも心配なのは、日本の学校で国語が、国の内外で外国語としての日本語が正しく教えられていないという状況で、その為には文科省が本気に取り組んで明治以来の「第二英文法」(大槻文法と橋本文法)を廃止し、そして三上文法を基軸にした日本語の述語制を反映、強調した新文法を採用することが肝要である。今からでも決して遅すぎることはないのだ。もし僅かでも力になれるなら、残り少ない人生ではあるが命のある限り、私は喜んでお手伝いするつもりである。(モントリオール、2019年1月)

*TAO LABより
金谷先生より許可いただき、上記、「あとがき」転載しました。
面白い視点〜一理あるかと。

実は金谷先生から先日連絡あり、慢性硬膜下血腫で開頭手術を行ったとのこと。結果は後遺症もなく、大事に至らず良好とのこと。良かった!

鈴木先生ともたまに連絡をとっています。日曜日(5月26日)久しぶりに話しましたが、先生も腸の出血で1週間ほど寝込んでいるとのこと。でもこちらも大事には至らず、1時間ほどの対話は爆笑の連打でした。

ご高齢ではありますが、鈴木先生には「タタミゼ」著作を完成させていただきたいと真摯に願っております。また、そこに金谷先生が加わることも視野に入れたうえで。そんなお二人が体調を崩しながらもおかげさまで大事に至らなかったこと、天に感謝とともに、お二人のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

PS
令和元年、ふたたびお二人揃い踏みの、今回は宿泊しながらのセミナーを企画実現したいものです。テーマはもちろん「世界平和のツールとしての日本語日本語脳」、場所はふじの国伊豆で。

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2018-6 鈴木先生と金谷先生と

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