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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良
第二十四回 『イチローの原点・愛知には鈴木正三がおった』
19年にわたるイチローの活躍は日本男児の生き様を米国に広めてくれたようです。幕末の伊能忠敬の日本地図が、タダならない国だという強印象を世界の列強に与えたように。戦後のトヨタ、ソニー、ニコンの製品を通じ、アニメを通じ、和食を通じて世界は日本の真髄を知りました。それらはどんな地対空ミサイルより、どんな掃海艇より、どんな哨戒機P3Cより、横田基地オスプレイの10機よりもずっとずっと意味があったのでは?イチローはそういうレベルに達してます。
さて日本の人々がとても勤労意欲が高いこと前回も書きました。とかく長く住んでいると習慣や風習は当たり前になって特徴がわからないのですが、諸外国に比べて働くことを厭わない国民性であることが言われています。
かつて山本七平という評論家が非常に重要なことを書いていました。彼の「勤勉の哲学ー日本人を動かす原理その2」という書はあまり読まれていないようですが、歴史的背景をもとに日本人の特徴を見事に分析しています。その本に登場するのが、鈴木正三という江戸初期の人物です。若い頃は徳川秀忠に使える三河武士でしたが、大坂夏の陣を終えて出家をします。出家ということはそれはそれはただならぬことです。家族を捨て、それまでの禄を得た生活をやめてしまうのですから。禅宗に帰依し、座禅を組み、かなりの修行も積んだようです。また天草に出かけ、布教活動もしています。
鈴木正三の弟は鈴木重成といい、天草島原の乱後の荒廃した天草を見事に復興した人物です。その弟に請われるまま、兄・正三も九州天草に渡り活動しました。徳川の旗本の重成は、天草の治世に全力を尽くし、天草の年貢が不当に高い、つまり実際の収穫よりも高い石高が設定されているために、過酷な年貢を払わされていることに気づきます。天領であった天草ですから、代官といえども勝手に年貢を下げることはできません。何度も幕府に掛け合いますが拒否されます。そこで彼がとった手段はなんと抗議の切腹です。民百姓に成り代わって、腹を切って幕府に抗議したのです。その甲斐あって年貢は下げられ、天草は暮らし良い島となりました。その功績で天草には今も鈴木重成、鈴木正三両人に感謝し、「鈴木神社」まであるのです。18年ほど前参拝してきました。
さて兄・正三は禅を通じ、仏の道を広く知らしめました。一言で言うなら「一鍬一鍬が全て仏業である。」ということです。日常の作務は、仏の道にかなっている。あらゆる生業(なりわい)が、全て仏業なのだから、精を出してそれを全うしよう!そう呼びかけたのです。
これは逆に現代人に分かりやすい言葉であっても、当時は受け入れ難く、江戸初期の仏教からするとまだ新しい概念なのです。つまり、修行、荒行、読経に念仏、出家に托鉢が仏門の道だったのですから。どんな職業であろうが仏の道に沿って生きることができるというのは新鮮です。浄土真宗の教えと相まって、以来在家での仏業がそれを機に盛んになったのです。これはすなわち、各自がその職業を自信を持って成し遂げることができるということ、すばらしい啓蒙でした。
万民徳用
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/blog-entry-1778.html
ご一読あれば幸いです。
職業倫理が確立したのは、正三の影響大と考えます。
前回の石田梅岩の心学は弟子の手島堵庵に引き継がれましたが、その手島は正三を敬愛していたそうです。いずれ、その精神は明治、大正、昭和の日本の勤労意欲を高めると当時に、出家に走ったり、荒行をする人々は激減したようです。
「鈴木正三―現代に生きる勤勉の精神」神谷満男著 より
"まことに身を思う人ならば、速やかに身を忘れよ。苦患、何れの所より出るや。ただこれ、身を愛する心にあり。"
〜本当に身体のことを慈しむなら、すぐにでも身体のことを忘れなさい。あらゆる苦しみは、ただただ身体を溺愛することが原因なんだから。〜
"ただ己に離るることを勤むるべし"
〜己のことを思う心から離れることが大切である。〜
鈴木正三著 盲安杖より
...続く
*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。