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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良

第二十三回 『すばらしいぞ日本の勤労意欲』  

 思えば徳川治世が日本文化の発展にとって素晴らしい貢献をしたことは自明のことでしょう。混乱の室町時代は度重なる戦乱により伝統文化の破壊が起きてしまいました。一つだけ良いことがあったとすれば、多くの京の公家・貴族が地方に移住せざるえなかったことでしょうか。公家の移住先は、小京都と云われる小都市となり、和歌や俳諧、茶道や儒学などが広く地方の町人にまで浸透し、多大な波及効果があったといえます。

 武で混乱を鎮めた徳川の治世、時代にふさわしい法度を制定し、徐々に治安が安定、ようやく和の文化が各地で萌芽します。今回取り上げるのは京都・大阪で活躍した石田梅岩です。

石田梅岩.jpg

心学という私塾を始めた梅岩は晩年には確実に弟子を増やし、江戸時代を通じて大きな影響を与えました。特に手島堵庵という天賦の才のある弟子は、人柄にも信頼があり、心学を全国区にした功績があるようです。

 梅岩は江戸中期の大阪で商いの修行中、人間とは何か、というテーマに取り憑かれ、とうとう閉じこもり、うつ状態に陥ります。郷里をさまよい、野原の花々や虫たちの飛び交う姿に、突然に悟りを開きます。天地は一体であるという境地に感じ入り、自己の存在をそれこそ透明にまでそこに溶かし込んだのです。山川草木悉皆成仏を自力で会得したのかもしれません。大悟徹底した彼は師匠から梅岩の名を与えられ、ついに1729年京の車屋町に私塾を開くも、受講料は一切受け取らなかったそうです。

 心学の功績として第一に考えられるのは、日本人の勤労意識を高めたことでしょうか。勤労を厭わない、私利私欲だけでない労働意識、こういう性質は世界的に見ても珍しいのです。

 何かの集まりが終了して片付けが始まると誰もがそれを手伝い始め、あっという間にお掃除もできてしまう。こんな光景はよく見かけます。仕事に生きがいを感じ、また仕事から生きがいを得たいと考えている日本人は多いでしょう。長い休みでもなかなかのんびりできずに、掃除をしたり片付けに精をだしたりして、なかなかゆっくりと遊べません。もちろんそうではない方も大勢いることは承知してますが、日本人の性質として勤勉の癖がなかなか取れていません。

 こうした日本人の性癖はいつから、どうやって出来上がったのか?それに対する答えが、「本心」という書に書かれていました。「本心」の著者・清水雅洋氏は著作を通じ、平易な文章で梅岩の業績を明らかにしてくれました。さらにその梅岩と並び賞されるのが、鈴木正三という愛知県の禅僧です。鈴木正三の思想は、梅岩を継いだ手島堵庵に高く評価されていたと書いてあります。鈴木正三については次回に述べましょう。

参考文献:本心ー小説「石門心学」ー 著者 清水雅洋 文芸社刊
本心.jpg

...続く

*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表 
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。


*TAO LAB より
勤勉〜世界のなかの日本人の特性を的確にあらわす言葉のひとつかと。

たびたびこのマガジンで紹介する静岡県知事の川勝平太氏(今回は川勝氏のこちらの視点とリンクしますね。)とともに国際日本文化研究センターに所属していた速水融氏は江戸時代に起こったイギリスでの産業革命(工業化)が資本(機械)を利用して労働生産性を向上させる資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、同時期、日本においては、家畜(資本)が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命であり、これを通じて日本人の「勤勉性」が培われたとした...産業革命 (industrial revolution) に因んで勤勉革命 (industrious revolution) と名付けた。

お上手!!この命名、座布団100枚だよねぇ〜。「心学」等により日本人の精神性が高められ生じたシナジー効果の一つともいえます。

同じ島国海洋国家のイギリスが産業革命を起越し、結果、外に向かい、植民地政策を推し進めた...大陸を挟み、東に位置する日本は反対に鎖国(厳密な意味では鎖国ではありませんが)し、内なる文化の熟成と持続的な生活環境の発酵に努めたということが面白いですね、これまた「勤勉」のひとつかと。またそのような行動は一神教+教祖信仰と多神教+太陽信仰の違いも関わっていると思いますが。

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