MAGAZINEマガジン
LAB LETTER
1 解説 獄中閑 -我、木石にあらず-
*TAO LABより
明治から151年目を迎え、現在、平成31年ですが、実質、本年はあたらしい天皇のもとあたらしい年号が始まる節目の年です。またそれは天皇崩御という悲しみの節目ではなく、また明治以降はじめて戦争体験のない天皇が誕生するという「安らか」「平和」という意味ではすばらしい時代の幕開けともいえます。でも政治や経済、さまざまな環境、またそれらを創っている人間の肉体やココロや精神の状態はけっして健全とは言えず、ますます劣化悪化しているとも思えます。
一昨年、久しぶりに二冊の書籍を企画制作しました。そのうちの一冊が川口和秀氏の獄中随想です。
この書籍は大阪西成一本独鈷ヤクザの親分の本をワイドーショーや週刊誌のような次元のスキャンダラスな娯楽=バットバイブスとして出したいと想ったのではありません。フツーではない運命宿命のもと生まれ、またとんでもない逆境災いを受け入れ、耐え、挫けることなく、どっこい前向きに生き続けているひとりの人間の体験と存在が思い悩み闇に押し潰れそうな誰かの励まし=グッドバイブスになるのではないかと想ったからです。
この正月明け、読み直してみました。そして本文はもちろんですが、彼の記した「まえがき」「あとがき」、そして積哲夫氏が寄稿してくれた「解説」が短いながらも素晴らしく、あらためてその部分をピックアップご紹介させていただければと。
まずは「解説」から。この解説は2017年初夏にいただいたものです。内容とともにタイトルそのものがこの書籍で伝えたいことを結果、現してくれています。
PS
今、思えば、積哲夫氏に初めてお目にかかった時の依頼にもかかわらず快諾していただいたことが有り得ない有難いこととあらためて感謝の意をこの場を借りてお伝えします。ありがとうございました。
また本や映画や音楽でずいぶんと励まされた誰かの一人が自分でもありますから〜。苦しんでいる方、手に取ってみてください。また、励ましたい方いらしゃいましたらぜひお渡しください。
*『ひとつの日本精神』 by 精神学協会会長 積哲夫
精神学という、人間精神の成長を探求するひとつの学の体系をこの世に伝える役目を与えられた人間として、川口和秀という男のたましいのデータを読むと、面白いことがわかる。ここで記すことは、人間世界での話ではなく、精神界における、川口和秀という人間の存在目的だと理解していただきたい。
この本の出版にあわせるかのように、新選組の局長であった近藤勇の首を、さらされていた京都の三条河原から、会津にその愛刀と共に運んで葬ったある人物の行動が、あきらかになった。その人物とは、松平容保が、京都守護職としてはたらいていた時に、会津藩のご用を務めたひとりの男、上坂仙吉(こうさかせんきち)またの名を、会津小鉄として知られる侠客である。
この上坂仙吉は、現在の暴対法で指定暴力団とされている京都の会津小鉄会とは、縁はないのだが、その名には、後世の侠客を目指す者たちには、男のなかの男というオーラがあるのだ。
同じように、オーラのある名でいうと山口組三代目の田岡一雄がいる。筆者は一時期、神戸という街に住んだが、その神戸で、戦後の闇市を知る世代の人間から、田岡一雄の悪口を聞いたことがない。敗戦後の日本で、戦前はサーベルを持っていた日本の警官が、事実上丸腰で、一般の国民すら守れなかった時期に、戦勝国側についたつもりで、武装し、闇市を牛耳っていた半島出身者や大陸出身者の、いわゆる第三国人といわれた暴力集団に対抗して、日本人を守ったという事実は消せるものではないからだ。
もちろん、こうした一般庶民というか、社会の底辺で、日本精神を支えていたのは、江戸時代から続いてきた、街道の親分衆が、事実上、社会の治安を守る公的な役目も担ったという特殊な歴史が投影されている。その意味では、自分たちは男のなかの男としての何かをするために生きているので、とりあえず、今日の生活のために稼ぐことを、「しのぎ」というのは、正しい自覚なのだ。
田岡三代目のもとで、山口組は拡大し、その過程では、大阪で半島出身者がつくった柳川組などもその傘下に収めていく。結果として、在日も同和もみな現在の指定暴力団に吸収され、アンダーグラウンドにおける、日本文化を守るというコントロール力を失ってしまった。
経済ヤクザの時代となり、もう、侠客など出ないといわれて久しいのだが、その時代の二十二年間を、罪なき罪で刑務所の塀の中で過した男がいた。それが、川口和秀である。中学もまともに出ていない男が、拘置所と刑務所で書き綴ったものが本書なのだが、これを読めば、はっきりとたましいの成長の過程が見えてくる。
精神界の説明によれば、あのまま、人の世で生きていれば、死んでいた...、ということになるのだが、これからの時代のために生かされている人材なのだ。
六代目山口組の分裂騒動やそれに続く、神戸山口組の分裂騒動で、はっきりしているのは、任侠団体とは何のためにあるのかを、すでに誰もわからなくなっているという現実だ。
そこで、たとえば一般人が映画で見たことがあるであろう、盃ごとの場面を思い出していただきたい。あれは、日本の神様方の前で約束をする儀式なのだ。日本精神を理解しない人間に、その文化を継承することはできない。
たぶん、これからの日本は、幕末と同じような大変動の時代を迎えることになるが、そのタイミングではたらくように用意されたというのが、私に知らされている川口和秀のたましいの秘密だ。
ただ、小中学校の教師ができなかった、人間としての、あるいは、男としての、教育を川口和秀に授けたのは、その親分であり、ヤクザといわれる現場の世界であったことは、忘れてはならない。偏差値ではない。人間の教育は、現場にしかないのだ。
この書は、その意味で、次の世代の日本を担う若者たちにひとつの重要なメッセージを送っている。
自分が不当だと思うことに対しては、戦い続けろ、と。
『獄中閑』
川口和秀 / Kazuhide Kawaguchi :著
昭和二十八(1953)年七月二十四日大阪府堺市生まれ。
大阪西成武闘派独立系の二代目東組副組長二代目清勇会会長である。15才の時にこの家業へ、23歳という若さで二代目襲名。平成元(1989)年、暴走した一組員が起こした事件をきっかけに共謀共同正犯に仕立て上げられ逮捕。22年間の獄中生活を送る。
えん罪という不条理に直面しながらも支援者とともに獄中で同人誌 「獄同塾通信」を発行、話題となる。出所後も真実を求めて法廷闘争を続けながら、映画「ヤクザと憲法(東海TV制作)」や書籍「闘いいまだ終わらず(山平重樹 著)」 など独自の表現を続ける。
巧まざるユーモアのセンスと弱者への温かいまなざしで地元でも愛されている現代の俠客。
*TAO LABより
川口氏、いかにも!といったヤクザスタイルではなく、とてもお洒落でイケメンです。また、若いときよりも今のほうが若くみえます。ヒトは体験から育まれた精神の持ち方・生き方により、ますます「若く」もなれるんだということを実感させてくれるひとりです。