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LAB LETTER

2 まえがき 獄中閑 -我、木石にあらず- 

獄中閑2.JPG
川口和秀 :書

*TAO LABより
解説』につづき、今回は『まえがき』を。


*『まえがき』by 川口和秀
 平成二十二(2010)年十二月十七日、私は二十三年近くという長期に及ぶ不当拘留から久しぶりに大阪西成に帰還しました。私はその時、五十七歳になっていました...

 なにゆえ私がそんな長期に渡り、囚われていたか?キャッツアイ事件と云われている事件の首謀者として抗争相手組織の者を輩下が勝手に独断で狙撃、流れ弾でホステスが死亡。これを調書改竄、女学生の死亡とし、私はこの事件に一切関わりないにも関わらず、使用者責任のスケープゴートに権力、マスコミ、民暴弁護士が一体となり、結果、二十三年あまりに及ぶ服役となったのです。

 当初、私は自分は関係ないとしても一般の方を巻き添えにしたからには潔く刑に服そうと考えていました。が、罪をでっち上げるため、輩下の者をとことん追い詰め、甚振り、事実を捻じ曲げても構わないという権力の暴力に対し、一歩も引かずに闘いを受けて立ちました。その結果の長期刑ですが、後悔はありません。漢とはそういうものです。詳しくは山平重樹著『闘いいまだ終わらずー現代浪華遊侠伝・川口和秀』(幻冬舎アウトロー文庫刊)を読んでいただけたら有り難い。

 獄中は四面コンクリートで囲まれ、動作に迄制限を強いられる極めて刺激の少ない所です。運動に出てもコート内には雑草一本も生えずが常識。そんな中にもタンポポの芽が出ていたりすることが在り、その一本の芽だけで大きい感動を覚えます。そんな時に自分も、もっとハングリーに根強く生きねばと気力を奮い立たされたことが在りました。自然のエネルギーは生命力そのものです。
 
 また、「忙中閑」という言葉をご存知ですか?

  忙裏、山、我ヲ看ル、
  閑中、我、山ヲ看ル、
  相以レド、相似ルニ非ズ、
  忙ハ、総テ閑ニ及バズ

 私は『どんなに忙しくとも「閑」を見出し、静寂の中で心を休め瞑想に耽りながら、何が起ころうとも対応し得る胆力を養って行くことも必要だ。』と理解しています。

 拘置所でこの言葉を識り、当初、巻き込まれた恨みと獄中にある境遇から心の平安を欠いていたことに気づきました。「忙中閑」の訓えるところの、己が一方的に山を看ていたのです。恨むことは「忙」だった...巻き込んだ者の立場を慮った時、「閑」の境地に至り、心の平安を取り戻せました。意識が変わることですべてが変わる~それから気力が再び湧き出たように思います。

 この気力復活の結果の一つとして、習字を、字が上手になりたいという思いが募り、拘置所に申し出るも不許可。然し、中には心ある現場職員も居り、定年前の森口専門官より「所長に弁護人から手紙を書いて貰え。」とのアドバイスを頂きました。そして、朝田啓祐主任弁護士に所長宛信書を出して貰い、やっと許可されたのです。拘置所と社会との手紙形式の通信教育が始まりました。硬筆だけでは飽き足らず、毛筆を願い出、結果、日本初、筆ペンが拘置所でも販売されるに至ったことも懐かしい思い出の一つです。

 獄の中で自然に座禅とともに般若心経の写経を毎日行うようになりました。身体は囚われ、不自由でしたが、その習慣により「身体は囚われていようとも心は限りなく自由だ!」ということも実感。誰もが本来自由なのです。

 この言葉を獄中で深く理解することにより、長期に渡る逆境との闘いにおいて精神と身体の健康を保つことが出来ました。よって「忙中閑」を捩ってこの書籍のタイトルを「獄中閑」としました。

*「あとがき」 へ

獄中閑
川口和秀 / Kazuhide Kawaguchi :著
昭和二十八(1953)年七月二十四日大阪府堺市生まれ。
大阪西成武闘派独立系の二代目東組副組長二代目清勇会会長である。15才の時にこの家業へ、23歳という若さで二代目襲名。平成元(1989)年、暴走した一組員が起こした事件をきっかけに共謀共同正犯に仕立て上げられ逮捕。22年間の獄中生活を送る。
えん罪という不条理に直面しながらも支援者とともに獄中で同人誌 「獄同塾通信」を発行、話題となる。出所後も真実を求めて法廷闘争を続けながら、映画「ヤクザと憲法(東海TV制作)」や書籍「闘いいまだ終わらず(山平重樹 著)」 など独自の表現を続ける。
巧まざるユーモアのセンスと弱者への温かいまなざしで地元でも愛されている現代の俠客。


*資料 『ヤクザと憲法』劇場予告編

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