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おかねのしくみ by 新藤洋一
第6回 金の採掘と国家の誕生
私が手書きで作成した、おかねと国家にまつわる年表をご覧下さい。横軸の数字は紀元前(BC)の年号を表しており、左に行くほど年代が古くなります。
今回は、この年表を元に、紀元前のおかねと国家の動きについて解説していきます。
前4000年、メソポタミアの都市テルブラクで麦のおかねが使われていた頃、エジプトでは盛んに金(きん)が採掘されています。
前3900年から前2100年までの間に、世界で900tの金が産出されていますが、そのうち実に700tがエジプトで産出されています。この圧倒的な金の量が、古くから国家をまとめ上げる源泉となりました。
古代エジプトの君主ファラオは、神権皇帝であり、君主と神々の権威を誇示するために金の装飾がふんだんに使われたのでした。皆が欲しがる貴重な金を、惜しげもなく豪華に飾ることで、力を見せつけたのでしょう。
金持ちが高級腕時計やブレスレッドを付けるのと、規模は違えど心理は一緒。ライオンや羊が見ても「なんのこっちゃ」という世界です。
しかし、金に魅了された人類は、金の呪縛から逃れられずに歴史を重ねてきました。
日本においても、ちょっと大きな寺に行けば、本堂にきらびやかな仏像や飾りを見ることができます。大仏の建立においても、金メッキや金箔で外装を施して仕上げました。
ちなみに昔の金メッキですが、金が水銀に溶けるという性質を利用します。金を水銀に溶かした状態で、大仏の本体(銅製)に塗り、それを松明(たいまつ)で炙ることで、水銀を蒸発させて金が蒸着します。
このとき、作業をしていた人たちが蒸発する水銀を吸い込み、水銀中毒者が出ており、危険な作業でした。
金には当然装飾以外に、おかねとしての価値がありました。
Wikipediaより引用します。
<引用開始>
エジプトの主要交易品と言えば金であった。金は上エジプトのコプトスより東に延びるワディ・ハンママート周辺や、ヌビアのワワトやクシュから産出された。この豊富な金を背景にエジプトは盛んに交易を行い、国内において乏しい木材・鉱物資源を手に入れるため、銅、鉄、木材(レバノン杉)、瑠璃などをシリア、パレスチナ、エチオピア、イラク、イラン、アナトリア、アフガニスタン等から輸入していた。とくに造船材料として必須である木材は国内で全く産出せず、良材であるレバノン杉を産するフェニキアのビブロスなどからに輸入に頼っていた。ビブロスは中王国期にはエジプト向けの交易の主要拠点となり、当時エジプト人は海外交易船を総称してビブロス船と呼んだ。ビブロスからはまた、キプロスから産出される豊富な銅もエジプトに向け出荷されていた。このほかクレタ島のミノア文明も、エジプトと盛んに交易を行っていた。
<引用終了>
豊富に産出した金が、おかねとしての役割を果たし、交易により地域が発達します。エジプト以外の地域の人も、金を欲する故に木材や鉱物資源を「喜んで」輸出(差し出)している様子が目に見えるようです。こうして繁栄を築き上げたエジプトは、他の地域よりも早くから「国家」として成立することが出来たのです。
下の世界史年表を見ても分かるように、他の地域では文明の発祥や都市の段階だった頃に、エジプトだけが王朝や王国を打ち立てています。豊富な金がそれを可能にしたことは想像に難くないでしょう。
【「世界史年表・地図」吉川弘文館 より引用 】
*プロフィール
作農料理人 人類研究家
新藤洋一(しんどうよういち)
1963年群馬県生まれ
1991年脱サラ後、飲食業を営みながら食糧とエネルギーの自給に取り組む。
自給生活の様子は「自給屋HP 」に掲載中。
(自給屋としての営業は2018年12月ですべて終了します)