MAGAZINEマガジン

連載

本日の一冊

美しい日本の私

ノーベル賞授賞式に羽織袴で登場した川端康成は、古典文学や芸術を紹介しながら日本の死生観を述べ、聴衆の深い感銘を誘った。その日本人初のノーベル文学賞受賞者による記念講演「美しい日本の私その序説」を中心に、今、日本をとらえなおすための傑作随筆を厳選収録。

美しい日本の私.jpg

美しい日本の私』(角川ソフィア文庫)
川端康成 :著

*内容紹介
川端はここで和歌や俳句を引用しながら、日本人の心に通底する死生観や美意識、自らの小説家としての矜持を表明した。この講演を軸に、一生をかけて求めた「美」への思い、戦前から戦後への社会変化の中で見つめた国の姿など、日本文化を見つめ直す作品を詰め込んだ傑作随筆選。付/英訳「美しい日本の私」サイデンステッカー訳。

*TAO LABより
こういう文章は旧仮名遣いで読んでみたいとあらためて想いました〜のほうが、綺麗さ、ますような。

wikipediaより転載
1968年(昭和43年)12月10日、川端康成はストックホルム・コンサートホールで行われたノーベル賞授賞式に紋付き袴の正装で出席し、翌々日の12日昼2時10分にはスウェーデン・アカデミーにおいて、スーツ姿で受賞記念講演を日本語で行なった。この『美しい日本の私―その序説』と題された講演では、道元、明恵、西行、良寛、一休などの和歌や詩句が引用され、エドワード・G・サイデンステッカーにより同時通訳された。
〜略〜
26年後の1994年(平成6年)に日本人で二人目のノーベル文学賞を授与された大江健三郎はその思想的背景から、この『美しい日本の私―その序説』を意識し、川端の姿勢に対して皮肉を込めた『あいまいな日本の私』という演題で、「英語」による講演(のち日本語訳発表)を行なった。

...とのこと。

若い頃だったら大江さんのこの行動にシンパシーを感じただろうけど、現在の自分はその皮肉が浅くダサいと思えてしまう。
ノーベル賞の川端康成→大江健三郎→村上春樹(3人目の可能性大)という流れが世界の日本文学に対するイメージの変化を感じさせてくれて面白い...ようはグローバリズム化して民族の精神性の違いが希薄になってきたのだろうか?

個人的にはその変化は象徴として(個々の作家や作品の優劣ではなく)世界の中でも稀有といえる日本人本来の高尚な精神性の自分も含めた劣化を現しているように思える。
具体的には日本語での表現力や文体の美しさに打たれる感受性。自ら表現することは難しいけど、この文庫からは日本語の美しさという感動をもらえる、おすすめの一冊。

現在、川端文学と三島文学を交互に読み始めている。その一環で今読んでいるのが二人の往復書簡。
川端康成三島由紀夫往復書簡.jpg

川端康成三島由紀夫往復書簡
これまた美しい、とても美しい手紙でのやりとり〜惚れ惚れする。

NEXT

PAGE TOP