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おかねのしくみ by 新藤洋一
第2回 人類と金属の出会い
麦のおかねは「物品貨幣」といい、そのものに価値がありかつ交換の手段に使われたものです。他にも家畜、塩、タバコ、ウイスキーなどが、物品貨幣として使われたことがありました。
貴重な物、皆が欲しがる物がおかねの条件です。サラリーマンの「サラリー(salary)」は、古代ローマ時代に兵士に与えられた「塩(ラテン語でサラリウムsaralium)」が語源です。塩は誰もが欲しがる貴重な物でした。
物品貨幣の欠点は、経年劣化と運搬の問題です。家畜は病気や死によって価値が下がるし、穀物はかびたり虫や動物の食害があります。また、物品の運搬には限界があり、交換の範囲が限られてきます。
人類はその誕生時に「妄想」という能力を持ってしまったため、物品貨幣の発明とそれが流通した社会では満足せずに、「もっと効率よくさらに広範囲への交易」を求め、次なる手段を捜すことになります。
そこで登場するのが金属貨幣(硬貨=コイン)です。金属も物質ですから広義の意味で物品貨幣なのですが、その性質・性能が桁違いであることから、物品貨幣とは分けて考えられています。
麦などの物品貨幣の場合は、人類以外の動物もその価値を見いだすことができます。つまり食べられるかどうか、という共通の視点を持っているということです。しかし、これが金属になってくると、完全に「人類だけの価値」ということになります。動物にとってみれば、生存に関係ないどころか、武器となって向かってきた場合には恐怖の対象にすらなります。
人類が金属を使い始めたことは、文明の大きな転換点でした。アメリカの学者でありノンフィクション作家のジャレド・ダイアモンド氏の代表作「銃・病原菌・鉄 上+下」では、金属を手にした文明とそうでない文明の行く末を、興味深く描いています。
道具に関しては、鉄器の発明が圧倒的に影響力がありましたが、こと「おかね」に関しては、金や銀などの金属が価値を持つことになりました。その「価値」とはどんなものなのでしょうか。
人類が生まれてから初めに出会った金属、それが「金」であることは、かなりの確率で断言することができます。証拠や記録はありませんが、間違いないでしょう。
【自然金の塊は「ゴールド・ナゲット」と呼ばれ、世界各地で発見されています】
それは金属の中で金だけが酸化などすることなく、純粋な状態で存在しているからです。逆に金以外の金属は、すべて酸化や硫化など化合物の状態でしか手に入りません。だから、化合物から純粋な金属を取り出す技術(冶金:やきん)が開発されなければ、金属として利用する(出会う)ことはできないのです。
もちろん現在の金の精製においては、他の金属も含まれている鉱石から、様々な過程を経て取り出されるわけですが、それとは別に「砂金」という純粋な金があり、人類と出会っていたのです。
農耕が始まる遙か前、人類は河原の砂の中や川底に、何かきらりと光る物があることに気づいていたでしょう。それは食べられないし生活に役立つこともない、本来無価値な物質です。しかし人類だけがそこに「美しい」という価値を見いだしていくのです。
あるとき、小石くらいの金の塊を見つけます。手に取ってみるとズシリと重い。金は比重が20、つまり水の20倍の重さです(鉄の比重が7.85)。2リットルのペットボトルなら40kgになります。
家に持ち帰って部屋の隅に転がしておく。それは錆びることもなく、いつまでも輝き続けていました。拾い主が死んで、子供や孫の代になってもいつまでも輝き続けている金。ほこりをかぶっても、手でこすったり水で洗ったりすれば、元の輝きが蘇りそれが永遠と続きます。他には存在しないこの珍しい物質に、やがてほとんどの人が心を奪われ、価値を認めるようになっていったのです。
*プロフィール
作農料理人 人類研究家
新藤洋一(しんどうよういち)
1963年群馬県生まれ
1991年脱サラ後、飲食業を営みながら食糧とエネルギーの自給に取り組む。
自給生活の様子は「自給屋HP 」に掲載中。
(自給屋としての営業は2018年12月ですべて終了します)