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『日本語で<アイ•ラブ•ユー>をどう言うか』 by 金谷武洋
How do we say I LOVE YOU in Japanese?(その4)
苗字の違い
前回(その3)の中で、英仏語と日本語の大きな違いを二つ発見した、と書きました。
その一つは地名だったのですが、その次は人名、それも苗字でした。日本人の苗字にはどんなものが多いかを、皆さんはご存知でしょうか。その多くは、その家族が昔から住んでいた土地の様子と関係があります。例えば大きな山があると、その入り口に「山口」さん、山を見上げる位置にあるふもとには「山本、山下」さん、分け入った山の中なら「山中」さん、降りてくる方向には「山出」さん、などが苗字となります。次に、日本人は昔から主食としてお米を食べて来ましたから「田」も大切なキーワードです。たんぼと先祖の家の位置関係によって「田中、上田、下田、中田、田口」それからたんぼの大きさによって「大田、太田、小田」、たんぼと他のものの組み合わ せで「山田、川田、宮田、橋田」など、ほとんど限りがないという感じですね。たんぼの近くに生えていた木によっては「杉田さん、桜田さん、柳田さん、梅田さん」など、いくらでも可能です。さて、ここで皆さんにクイズです。皆さんは「ホンダ、マツダ、トヨタ」と聞いて、ある共通点に気づかれますか。はい、その通り、3つとも日本車のメーカーの名前ですね。でも他に、別な共通点が2つあるんですよ。まず、この3つの会社の名前はどれも全て創業者の苗字でした。そして最後に、「だ」は「た」と同じで、これは先ほどの「田中さんの田」です。つまりお米を作る「たんぼ」のことでした。
それでは次に英語の苗字はどうなっているのかを見てみてみましょう。インターネットで調べてみましたら、アメリカ人の苗字の上から10位が分かりました。やはり予想通りで、これらの苗字に「場所」や「地名」は皆無でした。ただの一つもありません。そこにあるのは100%「人間」 なのです。ここに10の「最もアメリカに多い」苗字をお見せしますので、日本人の苗字と同様にそれらの意味や語源を一緒に考えてみてください。
1 Smith 2 Johnson 3 Williams 4 Brown 5 Jones
6 Miller 7 Davis 8 Wilson 9 Anderson 10 Taylor
日本人の代表的な苗字とこれほどまでに違うとは、全く驚くほかありませんね。ひとことで言えば、日本人の苗字は場所、つまり「祖先はどこに住んでいたか」に注目しますが、アメリカ人は「祖先はどんな人だったか」かを示すということです。つまり苗字に関しては「場所の日本語」、「人の英語」と言えます。やはりここでも、人が出てこないのが日本語なのです。
「どんな人だったか」の最初のグループは「どんな仕事をしていたか」です。つまり職業が苗字になりました。第一位の「スミスさん」は小文字のsmithと書けばそのまま普通名詞の「鍛冶屋さん」ですし、6位の「ミラーさん」もそのままで粉屋(製粉業)さんです。10位の「テイラーさん」は普通名詞では今「tailor」と書かれ るようになっていますが、服の「仕立て屋」さんです。日本にも「機織り(はたおり)」が起源の「服部(はっとり)」さんや、それによく似た「錦織(にしきおり)」が「錦織(にしこり)」となった例に、プロテニスで大活躍中の錦織圭選手がいますが、どちらもベストテンどころが100以内にも入らない苗字です。
さてアメリカ人の苗字に戻ると、ベストテンの内3つの苗字が職業ですが、次のグループの「どんな人だったか」で問題となるのは「その父親は誰だったか」です。「苗字(Family name)」には「父称(Patronym)」という別の言い方があるぐらいで、英語だけでなく、フ ランス語やドイツ語など西洋の多くの言語でしばしば見られることなのです。先ず苗字に「-son」が付くのは父親のファーストネームに普通名詞の 「息子(son)」をつけたものです。ここでは「Johnson、Wilson、Anderson」の3つがベストテン入りをしていますが、この順番に「ジョ ン、ウィリアム(略してウィル)、アンドリュー」が父親の名前でした。
父親のファーストネームの後に「息子(son)」の代わりに「所有格の's」がつくグループもあります。つまり「ジョン・ソン(=ジョンの息 子)」の代わりに「ジョンズ(=ジョンの)」と言うわけです。このタイプには「Jones、Williams、Davis」が上位10の苗字に入っています。 最後のDavisは「デイブの(息子)」ですが、デイブとはデイビッド(David)の愛称ですね。ウィリアムがウィルやウィリーと短くなるのと 同じです。以前、アメリカにニクソンという大統領がいました。「Nixon」というスペルで書いてしまうので分かりにくくなっていますが、これも元々は「ニックの息子」の「Nickson」でした。ニックはニコラス、ニコルのことですから、「ニコルソン」という別の言い方も可能になります。
10の苗字の内、職業が3つ、父称が6つありました。一つだけ異色なのが4位の「ブラウン」です。これは形容詞の「茶色い、日焼けした(brown)」と同 じで、祖先の身体の特徴、おそらく完全な白人ではなく、浅黒い肌の人だったのでしょう。つまりここでも「どんな人か」というその人のこと に注目した苗字なのです。日本人のように、「どこに住んでいたか」と いう場所や地名の苗字は全くここにはありません。
こうした、あまり人間の行為を重視しないように思えた日本文化のさまざまな状況と日本語の関係を探りたいと思ったのが後の修士論文、博士論文になりました。こうして次に向かったのが日本語と英仏語の基本文、つまり構文の比較です。
サピア・ウォーフの仮説
でもその前にちょっとだけ回り道をして、私の文法研究を支えてくれた学者を3名、ご紹介させてください。これら3人の学者は、紹介する順に、アメリカ人、フランス人、そして日本人です。つまり、カナダ人は一人もいないのですが、面白いことに、全員何らかの形でカナダと関係があるんです。ではまずこの人から始めましょう。これは、これからご紹介する「サピア・ウォーフの仮説」を提唱した一人です。アメリカ人の言語学者で、名前はエドワード・サピアです。このサピア先生、実はここオタワ市ととても深いご縁があるんですよ。26歳から41歳までの15年も住んでいたんです。一番重要な業績である「言語:ことばの研究序説」もそのオタワ時代の1921年に書かれました。もう一人のウォーフというのはサピアがオタワを去ってアメリカに戻り、名門イェール大学で言語学を教え始めた時に学生だった人です。教授と学生が協力して一つの学説を広めたというのですから、実に美しい話ですね。ただ、師弟が二人とも若くして病気で亡くなったのが残念です。サピアは55歳、ウォーフは44歳で亡くなりましたから、二人合わせても100歳になりません。
左:エドワード・サピア 右:ベンジャミン・リー・ウォーフ
二人が提唱した「サピア・ウォーフの仮説」は、一言で言うと、私たちの思考方法は、自分が母語として話す言語に左右されるという主張です。「言語相対性」と呼ばれることもあります。サピアはオタワ時代に、今では川向こうのガチノー市に移転したカナダ文明博物館の前身であるカナダ国立博物館に人類学科主任として勤務していました。そして没頭したのがカナダの先住民族の言語と文化だったのです。サピアは北米インディアンの話すことばの構造が英語やフランス語と全く違っていることに驚き、それが彼らの文化に色濃く反映されていると主張しました。言語が文化を「決定する」と言うのは過激すぎますので、「影響を与える」というやや無難な言い方になっています。
カナダの先住民と日本人の共通点
サピアの本を読んで私は心を打たれました。というのは、カナダの先住民たちの風俗や言語に日本人や日本語との共通点を感じることが既に何度かあったからです。まず仕草についてですが、例えばイヌイット(差別的表現でることが知られていない日本では、今日でもエスキモーと呼ばれていますが)の母親は赤ちゃんを背中におんぶするのがよく知られています。日本と同じで、北山修の指摘した「共視の母子像」がイヌイットにも伝統的に見られるのです。第二に、カナダ東部に今でも多く残っている現住民族の言葉の地名にほとんど人が出てこない、という事実が私の注意を引きました。
最初に日常表現の比較で見てきたように、日本語の文にはあまり人間が登場しません。英語やフランス語はその逆です。こういう違いが日常表現にも、映画のシーンや短歌、フォークソングの歌詞、さらには視線や声にまで影響を及ぼしているのではないかと私は考えたのです。そして、それを決定づける証拠が言葉の違い、それも基本文のパターンの違いにあるのではないか、と目をつけました。
レヴィ・ストロースの構造主義
さきほど、私が大きく影響をうけた学者が三名いたと言いました。最初の学者はサピア・ウォーフの仮説で有名なサピアですが、次の二人目が誰だったかをお話しします。それはフランス人で人類学者レヴィ•ストロースです。
レヴィ・ストロース
先ほどのサピアは55歳で若く亡くなりましたが、レヴィ・ストロースは驚くほど長命でした。亡くなったのはつい最近の2009年で、ちょうど100歳でした。サピアとウォーフを足しても及ばないほど長生きしたのです。ご存知の人も多いでしょう。人類学者レヴィ・ストロースが主張して学界に大ブームを巻き起こしたのが構造主義(Structuralisme)でした。その古典的名著「親族の基本構造」(1941)で見事に解明してみせた近親婚のタブーですが、それと並行するような無意識の、しかし体系的な構造が日本語にもあるのではないか、と私は思ったのです。この構造が未だに正しく理解されてはいない理由は、日本語の文法が明治維新以降、ずっと英文法を真似てきたせいではないかと私は思うのです。
構造主義とは、レヴィ・ストロースと同時代に知的巨人と目されたジャンポール・サルトルの実存主義が「個人の能動的な主体性」を当然のこととして、集団の連なり、あるいは「場」から切り離された「自由」をあまりに強調しすぎたことに対する反論と挑戦だったのです。私がレヴィ・ストロースの構造主義に魅了された個人的な理由がありました。それでは、この人類学者とカナダの関係は何かをお話ししましょう。実は、この学者が30年程前にケベック市へやってきたのです。そしてラヴァル大学で講演をしました。実際にその声を私が聞いたのですが、それは実に感動的なひと時でした。何故なら、講演中にレヴィ・ストロースが一番強調していたのが、西洋と日本との違いだったからです。西洋と東洋ではありません。西洋と日本なのです。レヴィ・ストロースは、中国はむしろ西洋に近いが、日本と西洋は真逆であると言いました。何が違うかと言うと、西洋は「押す」が日本は「引く」とまで言い切ったのです〜注1。挨拶の際に日本人がお辞儀をすることも紹介しましたが、それよりもこの人類学者が身振りで強調したのが「のこぎり」でした。日本では自分に向かって、つまりのこぎりを「引いて」木を切るが、西洋ではのこぎりを「押して」切る、と。私にも初耳でした。レヴィ・ストロースはまたサピアと同じように、仕草や身振りと、言語の構造に関連があるとまで言っています。アリストテレス以来の西洋哲学は、その基本がギリシャ語の文の構造に一致している、とまで明言しました。
*TAO LABより
注1〜この違いの図をたまたま前回のTAO LABよりに掲載しています。あらためてご参考までに。
興味深いのはレヴィ・ストロースの中国はむしろ西洋に近いという観点。だと思います。個人的には日本は西洋でもなく、東洋でもないと思っています。なにゆえ?それは大陸と島国の違い、アイランドの国はおおらかです〜ケンカをしつづけられない立地。さらに四季による自然の豊かさ、水(海含む)と緑の豊潤さが加わり、温暖で生きる上での環境が整っている。さらにさらにじつは単一民族ではなく多民族混血国家であるということ、大陸との地政学的な好い加減の距離感等の絶妙のミクッスチャーの結果、「和」が生まれたのではないかと。もちろん、言語が結果か原因か?たまごとひよこの関係でしょうが日本語=日本語脳もあった上で〜大変興味深い「和」ですね。
*解説
・サピア・ウォーフの仮説
・構造主義
*金谷武洋先生について
カナダ・ケベック市のラヴァル大学へのご留学、アルジェリアで通訳としてガルガルダム建設工事プロジェクトでのご勤務、ドイツ・マールブルグ大学でのご留学、再びカナダに戻りRCI(カナダ放送協会国際局)でのご勤務などを経て、1987年よりモントリオール大学東アジア研究所で日本語をご教授。1989年より同研究所日本語科科長。現在、「リタイヤ生活を満喫しつつ」(ご自身談)文法研究・講演・執筆活動を展開されています。専門は言語類型論。本人によれば三上章の影響であるとしている、独特の「『主語』否定論」を広めている。日本語を日本の外から見続け、発言し続けてきた貴重な論客です。
◆主要著書
『主語を抹殺した男/評伝三上章』(講談社)
『日本語は敬語があって主語がない--「地上の視点」の日本文化論』(光文社新書)
『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)
『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 』(ちくま新書)
『日本語は亡びない』 (ちくま新書)
『英語にも主語はなかった--日本語文法から言語千年史へ』(講談社)
『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』(飛鳥新社)