MAGAZINEマガジン
『日本語で<アイ•ラブ•ユー>をどう言うか』 by 金谷武洋
How do we say I LOVE YOU in Japanese?(その2)
前回、日本語の最も基本的な日常表現である「ありがとう、おはよう、さようなら」に、私の最初の日本語クラスの学生が「人が全く出てこない!」と驚いた話をしましたが、次に学生がびっくりしたのは、初めて誰かと会った時の表現、「初めまして」でした。この状況でも英語なら「How do YOU do?」とやはり「あなた」が登場します。フランス語なら「Enchanté, Enchantée」で、その前につけてもいい「JE suis」には「私」がいます。「How do YOU do?」を日本語に直訳したら「あなたはどうしますか」とでもなるでしょうが、とても日本語の初対面のことばにはなりませんし、逆方向で日本語の「はじめまして」を無理にそのまま何とか英語にして「We will start」や「Let's start」と言われても、英語話者は返事に困るしかありません。
「おはよう」「ありがとう」「さようなら」とそれに対応する英語文を比べて「英語の文には人間が出て来るが、日本語の文にはいない」ということを学生は学びましたが、「How do you do?」でもそれは全く同じでした。相手がどうするかを聞く「行為文」が英語の初対面の挨拶であるということです。「おはよう」や「ありがとう」と違って「はじめまして」には「はじめる」という動詞がありますが、その動詞の行為者は出てきません。こうした新米教師の体験から「日本語の文には何故人間があまり出てこないのか」が、私の文法研究の出発点となったのです。
私は日本語を教え始めた早い段階で、日本人の基本的な「立ち位置」が英語や仏語の話者と違っているのでは、と見当をつけました。対話をしている二人がそこにいるはずなのに、話し手も聞き手も文に出てこないのは、同じ方向を見て、互いに向かい合っていないせいではないか、と見当をつけたのです。例えば、「お早う」の場合、二人が見ているのは、おそらく外の景色です。例えばまだ太陽が上がりきらずに地平線に顔を出した様子を二人が並んで見ているのです。そして 「まだ朝早い」という状況に二人が感動して、心を合わせている気持ちが「おはようございます」の表現となったのでしょう。別の言葉で言うと、二人はそこで「共感」しているのです。ですから聞き手も今度は話し手となって「お早う」と答えるのです。そんな風に説明すると、ようやくクラスの学生たちも納得してくれた様子で安心しました。これに続いて、私は文学や日本人の仕草や声、さらに絵画や文学にも、日常表現の違いと共通するような違いが日本と西洋に見られるのではないか、と見当をつけました。そしたら、案の定、次々に発見できたのです。それをいくつかご紹介しましょう。
短歌や歌詞にも見られる「共感」の思想
ここで私の好きな歌人、俵万智さんの次の短歌を一つ皆さんにご紹介 したいと思います。この歌人の代表的な作品で、日本人の間によく知られた短歌です。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる暖かさ
(「サラダ記念日」1987年、河出書房)
お気付きでしょうか。上で見た「ありがとう」も「おはよう」も結局この歌の「寒いね」と同じ気持ちの表現だと私は思います。この歌で「寒いね」と話しかけた人と、「寒いね」と答えた人は、実は向かい合っていません。向かい合うのではなく、むしろ同じ方向、例えば雪の積もった庭を見て、その寒そうな景色に「共感」し、心を通わせているのです。そうすることで、気持ちが一つになった感動を俵さんは「寒い」とはちょうど反対の「暖かい」と言い表しました。勿論、暖かいのは温度が上がったからではありません。二人が感動し合ったからです。何と素晴らしい歌でしょうか。上で見たように、「まだ早いね」と声をかけるのが「お早う」の気持ちですし、「なかなかないことですね」 なら「ありがとう」で、やはりどちらも同じ方向を向いて感動した表現でした。それが平成の現代まで生き残ったのです。
さて、お互いを見合うのではなく、心を通わせるために二人が同じ方向を見ようとすると、不思議なことが起きます。相手と並ぶことで相手が視界からいなくなるのです。日常表現を比べて気がついた「英語の文には人間が出て来るのに、日本語の文にはいない」のはそのためと言っ ていいでしょう。
俵万智さんに続いて、もう一つ皆さんにご紹介したい日本人がいます。若い時はフォー クソングを歌っていたのですが、その後、九州大学の精神分析医学教授になった北山修さんです。1970年代にとても有名だった「フォーク・クルセーダーズ」という京都出身の三人組のフォーク・グループでベースを弾いていたのが北山さんでした。そしてこのグループのほとんどの歌の作詞も北山さんの担当です。「帰ってきたヨッパライ」という歌が大ヒットしたのは1968年。その時、私は北海道函館市にある函館ラ・サール高校の2年生でした。フォークルの数多いヒット曲の中に「あの素晴らしい愛をもう 一度」という歌があります。ちょっとその一部をご紹介しましょう。
♫ あのとき 同じ花を見て 美しいといった
ふたりの 心と心が 今はもう 通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
上で述べたように、北山さんはその後、精神科医が専門の大学の先生になりましたが、「共視論」(講談社選書メチエ、2005年)というタイトルの本を出されています。ともに心を動かすことを「共感」と言うなら、ともに同じ方向に視線を向ける ことは「共視」と確かに言えるでしょう。ここでは「以前は同じ ものを見て、二人が通わせていた心」が失われた悲しさが歌われていますが、この心こそは私が日本語の日常表現を通じて気付いたことと全く同じです。つまり「日本人は心を合わせる時に、見つめ合うのではなく、並んで同じものを見る」ということなのです。先ほどご紹介した俵万智さんの和歌に戻れば、そうした共感を失うことは「寒いね」と言っても「寒いね」と答えてくれる人がいない悲しさなのです。
北山さんは、江戸時代の浮世絵で母親と幼い子供が描かれているものに、何か不安定なものを母親が子供に見せているデザインが多いと指摘しています。そして、日本人の「愛」は視線を同じ方向に向ける、この母親と幼い子供のイメージが基本にあるととても大切なことを教えてくれます。そう言えば、日本の恋愛映画でも愛する二人はよく同じ方向、例えば浜辺に立って沈む夕陽を眺めているという光景でクライマックスを迎え、テーマ音楽もここぞと大きく演奏されてスクリーンに「終り」が出て来ることに気付きます。ハリウッド映画はそうはいきません。お互いに見つめ合って、次の瞬間、燃える様なキスを交わし、そこでようやく「The End」となります。はい、ここで画面を見てください。有名なアメリカ映画の「カサブランカ」「風とともに去りぬ」、それから日本映画の「東京物語」「かもめ食堂」のポスターです。視線がまるで違いますね。アメリカの映画では見つめ合う二人、日本映画の方は同じ方向を見ています。
声と視線も大違い
他のアジア諸国と比べても、日本人は英語が苦手だとよく言われます。でもその大きな理由の一つが日本人の「声」であることはあまり指摘されていません。書店に出回っている英会話の本は、単語やイディオム集といったものが多いように見受けられますが、それはFacts(事実)で、それと並んでActs(演技)の重要性を忘れてはいけません。
日本人の声は、近くならやっと聞きとれるものが多く、英語のように「自己主張」をするために、子供の時から意図的に訓練した声とは全く違ったものです。日本人の声が遠くへ届かないことは通訳を交えた会議などでも絶望的で、よく言われる日本人会議参加者の「3S」つまり「沈黙(silence)」「微笑(smile)」そして「居眠り(sleep)」もその第一の理由は、せっかく大事な発言をしても他の参加者に聞きとってもらえず、内容はともかく声の大きな人の方に注意を横取りされてしまうことが多いからです。私はカナダや日本で何度も日仏や日英の通訳をしてきましたが、そうした場面にしばしば出くわして悔しい思いをしたものです。「もっと声を出して!」と叫びたくなったことが何度もありました。
皆さんもご存知だと思いますが、英語話者は金属的音音色とでも呼びたいような声を出して話しますよね。これが実に遠くへ届くのです。実は西洋には「骨音響学(Osteophony)」という分野の学問があって、人が音声を発する時に自分の身体のどの部分を共鳴箱として使うかもその研究分野の一つです。それによれば英語は主に頭蓋骨を響かせるそうで、そうすれば周波数が高くなるのです。典型的にはオペラ歌手の歌い方がそうで、その為に、ステージの上でマイクを使わなくても舞台から歌声は劇場の奥まで届くのです。
これに比べて、日本語の話者が響かせるのはそれより身体のずっと下方の胸や腹で、そうすると共鳴度自体がはるかに弱くなります。それでは実際に骨音響学の専門家が実験室で音響機械を使って測定したいくつかの言語の平均的な周波数(もちろん幅がありますが)を次に比べてみましょう。
この表を見るとまさに一目瞭然ですね。日本語と英語は隔絶しています。日本語の音声の周波数で125から1500ヘルツ、それに対して英語は2000から15000ヘルツと日本語の最高より英語の最低が上という、まさにかけ離れた音域です。つまり、日本人は英語を話す際に、舞台俳優かオペラ歌手になったつもりで、よほど意識的に努力して「頭のてっぺんから出さ」ないと英語話者のような「遠くへ届く声」を出せないのです。
実はこうした発声を英語話者は子供のときに意図的に訓練することを友人が教えてくれました。ちゃんとしたプログラムがあるのです。直訳すれば声の発射テクニック(Voice Projection Technique)とでも呼ぶべき発声法の理論とその実践で子供たちは訓練され、ようやく「遠くへ飛ぶ」声が出せるようになるのです。テクニックとしては音量よりもむしろ音質で、頭蓋骨を共鳴させる金属的な音がこうして習得されるわけです。
上の表には出て来ませんが、インターネットで検索すると中国語は500から3000ヘルツでしたから、日本語と英語の間にあります。この科学的データも、中国人の方が英語の上達が日本人より速い理由の一つだと言えるでしょう。もちろん、それだけではなく、基本文の構造という大切な点でも英語と似ているのは中国語で、日本語でありません。中国語の「ウォー•アイ•ニー」は、まさに語順もそのままで「アイ•ラブ•ユー」を意味します。
私はモントリオールの対岸でセントローレンス川を挟んだ南岸のブロサールという街に住んでいるのですが、川を渡ってよくモントリオールへ行きます。その際の交通手段は主に地下鉄です。地下鉄の中では一人の場合、大抵本を読んでいる事が多いのですが、ある日、面白い事に気がつきました。本を読んでいて「周りがうるさいなぁ」と思う時が時々あると、それは間違いなく英語、あるいは中国語のどちらかだということです。この街で一番話す人が多いフランス語の場合はほとんど気になりませんが、英語だと聞きたくもない会話が耳に入って来ますので、うるさくて本が読めないのです。あまりうるさいので一度、口に指を当てて「しっ!」と言ってみたがことがありましたが、向こうが、注意される理由が分からないという驚いた顔をされて、こちらが驚きました。考えてみれば英語話者なら誰でもこんな声で話すわけですから、当然と言えば当然な反応です。
*TAO LABよりおまけ
加藤和彦と北山修 あの素晴しい愛をもう一度(ライヴ)
1971年6月19日 大阪毎日ホール 北山修・ばあすでい・こんさあと
*金谷武洋先生について
カナダ・ケベック市のラヴァル大学へのご留学、アルジェリアで通訳としてガルガルダム建設工事プロジェクトでのご勤務、ドイツ・マールブルグ大学でのご留学、再びカナダに戻りRCI(カナダ放送協会国際局)でのご勤務などを経て、1987年よりモントリオール大学東アジア研究所で日本語をご教授。1989年より同研究所日本語科科長。現在、「リタイヤ生活を満喫しつつ」(ご自身談)文法研究・講演・執筆活動を展開されています。専門は言語類型論。本人によれば三上章の影響であるとしている、独特の「『主語』否定論」を広めている。日本語を日本の外から見続け、発言し続けてきた貴重な論客です。
◆主要著書
『主語を抹殺した男/評伝三上章』(講談社)
『日本語は敬語があって主語がない--「地上の視点」の日本文化論』(光文社新書)
『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)
『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 』(ちくま新書)
『日本語は亡びない』 (ちくま新書)
『英語にも主語はなかった--日本語文法から言語千年史へ』(講談社)
『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』(飛鳥新社)