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『日本語で<アイ•ラブ•ユー>をどう言うか』 by 金谷武洋
How do we say I LOVE YOU in Japanese?(その1)
<2017年9月21日にオタワの在カナダ日本大使館の主催による文法講演会に講師として招かれました。会場は日本語教育が高い評価を受けているカールトン大学。「効果的な日本語教育法」と題したワークショップで私も数年にわたって何度か講師を勤めた大学です。講演のタイトルは『日本語で<アイラブユー>をどう言うか』として、述語制言語である日本語を、主語制言語の英語を比べながら対照的に紹介しました。日頃あまり使っていない英語での講演でしたが、幸い何とか勤めることが出来ました。以下、当日の心の高まりを思い出しながら、講演内容を日本語に訳しながら振り返りたいと思います>
皆さん、こんにちは。今日はこんなに大勢の人たちに来てくださって感激しています。只今のご紹介にもありましたが、私は25年間、モントリオール大学で日本語を教えていましたが、5年前の2012年に退官しました。1987年から現在まで30年もモントリオールに住んでいますので、普段はフランス語を話しています。母語が日本語、そして日常生活ではほぼ100%フランス語ですから、英語は私にとって三番目の言語、二番目の外国語となります。話しているうちに耳障りな間違いもあちこちですると思いますが、どうぞご寛容にお許しください。
私が日本語教師になったきっかけ
先ず、どういうわけで私が日本語をカナダで教えることになったのか、そのきっかけをお話ししましょう。それはきっかり40年前の1977年9月のことでした。私は当時26歳です。その2年前にカナダのケベック州にあるラヴァル大学に国際ロータリークラブの奨学生として一年の予定でやってきたのですが、あまりにもケベック州でのキャンパス生活が気に入ってしまい、しばらくカナダに住んでみたくなりました。ケベックの人たちの笑顔と優しさ、そして山を真っ赤に染め上げる紅葉の美しさにすっかり魅了されてしまったのです。日本では生まれも育ちも北海道ですから、冬には慣れています。先ずは留学延長に関してロータリークラブの許可を頂き、着いた翌年の1976年からは運良く州政府からの奨学金が貰えました。さらに1976年には近くのモントリオールでオリンピックがあり、読売新聞で使い走りのアルバイトを2か月ほどやって少し蓄えもできたので、まだ向こう数年は大丈夫と思われました。とは言っても、経済的には決して豊かでなく、無駄遣いはできません。常に不安でした。
そんなある日、9月始めの金曜日でしたが、ラヴァル大学の教務課から思いもよらない電話が入りました。受話器を取ると、こんなやり取りになりました。「ボンジュール。ムッシュー•カナヤですよね。あのう、お聞きしますが、確かウチで勉強している日本人留学生ですよね」。「はい」と答えると「それじゃ、日本語を教えることは出来ませんか」と尋ねられました。その後のやり取りの中で、大学が困っているのだと分かりました。秋学期に日本語を教えることになっていた人物と急に連絡が取れなくなったのだそうです。私はその時点で既に2年以上ケベック市に住んでいて、2つ目の学士号を終わろうとしていました。その後は言語学の修士課程に進もうと決めたばかりでしたので、それは突然降って湧いた、夢のような朗報でした。興奮を抑えながら「是非やらせてください」と即答しました。その後、ふと気になって「授業はいつから始まるのですか」と聞くと、「来週の月曜から」と答えるではありませんか。その日は金曜日でしたから、授業開始までたったの3日しかありません。外国語としての日本語を教えた経験もなかった私に、24人の学生のクラスをその週末だけで準備すると言うのです。それは大変な仕事でしたが、とりあえずは平仮名と「日常表現」から始めて、すこしずつ文法を教えていこうと決めました。すると、まさにその「日常表現」から、私にとっての「日本語再発見の旅」が始まったのです。この一本の電話が私の人生を変えたと言ってもいいでしょう。私が結局カナダに永住して、今日、こうして皆さんの前でお話ししているのも、40年前のある金曜日の、全く予想も期待もしていなかった一本の電話のお陰なのです。
日本語の日常表現に驚く学生達
好奇心あふれる若いケベックの学生からの多くの質問が私の目を開かせてくれました。先ず感謝の「ありがとう(ございます)」を教え、次に文の形のよく似た「お早う(ございます)」に移った時に数人の学生の手が上がりました。「この二つの文は形がよく似てますね。それぞれの元の意味は何ですか」と言うのです。それで、ちょっと考えて、本来の意味はそれぞれ「有り難い(=なかなかないこと)ですね)」と「まだ、朝早いですね」と言う意味だと答えました。するとクラスの学生がとても驚いたのです。「えっ、人間が一人も出て来ないんですか。英語やフランス語と全然違うんですね〜」と。意外な反応で、今度はこちらも驚きました。
こうした日本語教育の現場で受けた衝撃が私を日本語教師と文法研究家に育ててくれたのだと今でも思っています。何が一番違うかと言うと、それは学生が言った通りです。英語やフランス語では朝の挨拶や感謝の言葉には「人」がいるのが、日本語にはいないという違いです。Thank youの「You」がそうですし、Good morningは本来「I wish YOU a good morning」でしたからやはり話者(I)とその目の前にいる聞き手(YOU)が感じられます。サンキューだって元々は「I thank you」でしたから「私」も「あなた」もいたのです。ところが、日本語では「ありがとう」にも「お早う」にも「わたし」や「あなた」は不在だという事実にケベックの学生は驚いていました。それまでこんな違いについて考えたこともなかったので、私にも大きな衝撃でした。これは一体どういうことなのか、なぜ日本語は英仏語などとこんなに違っているのか、と新米教師の私は考えました。それと同時に、私はあることに気がついて興奮もしていました。こんなにも違っている理由の根っこを捕まえれば、修士論文は書ける、と自信を持ったのです。そしてその通りになりました。
人が出てこない日常表現は「ありがとう」と「おはよう」だけではありません。別れの挨拶「さようなら」もそうです。英語の「Good by」は本来「God be with ye(神があなたとありますように)」でした。Yeとは古い英語の俗語で今のYouと同じ意味ですから、この挨拶には「あなた」だけでなく「神様」までいたのです。日本語の「さようなら」には誰も出て来ません。意味は何ともあっけない「そのようなら」です。今日ではこれがもっと簡単になって「それじゃ」や「じゃね」などと言いますね。でも、意味は全く同じです。侍映画に出てくる「さらば」も「さ、あらば」で「さようなら」と同じ意味ですし、この「さ、あらば」に「よ」がついた「さあらばよ」は形が崩れて、こちらは同じ時代の町人がゆく使った「あばよ」になりました。「さようなら、あばよ、さらば、じゃね、それじゃ」、これらは、どれも発想は同じということです。つまり、昔から一貫して日本人の別れの挨拶には人が出てこないのです。
*金谷武洋先生について
カナダ・ケベック市のラヴァル大学へのご留学、アルジェリアで通訳としてガルガルダム建設工事プロジェクトでのご勤務、ドイツ・マールブルグ大学でのご留学、再びカナダに戻りRCI(カナダ放送協会国際局)でのご勤務などを経て、1987年よりモントリオール大学東アジア研究所で日本語をご教授。1989年より同研究所日本語科科長。現在、「リタイヤ生活を満喫しつつ」(ご自身談)文法研究・講演・執筆活動を展開されています。専門は言語類型論。本人によれば三上章の影響であるとしている、独特の「『主語』否定論」を広めている。日本語を日本の外から見続け、発言し続けてきた貴重な論客です。
◆主要著書
『主語を抹殺した男/評伝三上章』(講談社)
『日本語は敬語があって主語がない--「地上の視点」の日本文化論』(光文社新書)
『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)
『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 』(ちくま新書)
『日本語は亡びない』 (ちくま新書)
『英語にも主語はなかった--日本語文法から言語千年史へ』(講談社)
『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』(飛鳥新社)