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「週刊金曜日」佐高信 ☓ 川口和秀 対談
『ヤクザは憲法に守られてないのか?』
『週刊金曜日』2017年2月17日(No.1124)号より転載
2016年公開され大きな話題を呼んだドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』。作品に感激した本誌編集委員・佐高信は、そこで描かれた川口会長に会いたいと熱望! 会長自身の人柄やヤクザの現状に迫った。
佐高 東海テレビが制作したドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』を拝見しました。なんの注文もなく、よく撮らせましたね。
川口 東海テレビの前にNHKの取材も受けてるんです。他にも、ロシアとドイツなど外国の放送局の人も「日本の任俠を放送したい」ということだったのでOKしてます。
佐高 ただ、そのときに川口さんは「これだけは外さないでほしい」ということを言われたそうですね。
川口 そうです。われわれ自身に対しては、差別があっても仕方がないという感覚で受け止めてます。
しかし、第二、第三の差別があるんじゃないかということを言いたい。たとえば、ヤクザの子どもにまで「幼稚園来てくれるな」というのは、あまりにも間違ってる。「そこを出すだけでいいんだ」と伝えました。あとは視聴者がどう受け止めるか、ということですから。
佐高 暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)ができたあと、2011年、東京都と沖縄県で暴排条例(暴力団排除条例)が施行されました。するとそれが全国に広がっていった。あのときに、私は故・辻井喬さんたちと暴排条例反対の記者会見に出たんです。
これらは法律そのものがおかしい。釈迦に説法ですけど、法律というのは、何かをした、その行為を罰するわけです。いわゆる「いい人」でも悪いことをする可能性がある。でも、何もしてないのに最初からレッテルを貼ったら、法律そのものの精神に反します。
川口 本来はそうです。
佐高 私なんか今の政府が一番「反社会的勢力」だと思ってますから。暴排条例のときが一つの転機でしょうね。あの頃、川口さんとしては大変だという感じがあったんですか。
川口 直接的な実感はなかったですけど、ある組織の人に暴排条例でどんな被害、実害があるかって調べてくれへんかって言ったら、資料が届きました。それで、ヤクザは通帳が作れないことなどがわかってきましたね。
看守が受刑者に暴行
佐高 タイトルの『ヤクザと憲法』っていうのは、もちろん東海テレビがつけたんですね。
川口 はい。
佐高 「そうきたか」と思われたんじゃないですか。
川口 私が『実話時代』で連載した獄中随想は「我、木石にあらず 注1」というタイトルでしたが、毎回編集部がつける個々のタイトルに感心しました。今回の映像の方のタイトルも「憲法とヤクザ」やなしに、「ヤクザと憲法」ということで。
佐高 憲法の恩恵を全然受けてなかったわけですよね。
川口 はい。
佐高 番組には、いろいろ反響はあったんですか。
川口 あったと思いますね。映画化される前に東海テレビで放送された後、岐阜の花見にて「テレビで見たよ」と声をかけられたこともあります。
そのあと、朝日放送がNPO日本青少年更生社・西山俊一氏のところに撮影に入ったそうですし。そのとき、朝日放送のお偉いさんか誰かが「(映画『ヤクザと憲法』の影響で)今、暴対法がおかしいと法律家の中でも静かに沸いてる」と言ってましたね。そういう意味では意義があったかなと思います。
佐高 今頃「おかしいと静かに沸いてる」と言われても困りますね。一方で、政権側は個人情報保護法を掲げながらも、わけのわからないことをやります。「個人情報保護」なら、誰がヤクザなのかもわからないはずなのに情報が漏れている。ヤクザに対しては適用しないということは、完全に法律のつまみ食いです。
川口 私は長いこと裁判をしてますから、裁判所に対しては失望しかありません。服役したのは22年11カ月、約23年ですよ。
佐高 監獄ではさらに人権がないような世界になってきますよね。
川口 私が宮城刑務所にいたとき、3人の受刑者が看守から暴行を受けたんですよ。そのうちの一人がレントゲン写真を撮ったら、首の骨が曲がってるんです。でも、看守が提訴を取り下げさせおったんですよ。それで、暴行を受けた奴らがみんな私のところに相談に来ました。だから、私が「監獄人権センターに手紙を出せ」と言って、弁護士の海渡(雄一)さんとかが動いて訴訟にも勝ちました。
佐高 他にも何かありますか?
川口 神戸拘置所には、「生活のしおり」っていうのがあるんです。しおりには、「ベルトをしめるのを許可する」と書いてある。そこで私が「出廷のときにベルトをさせてくれ」と言うたら、アカンと言うんです。「理由は?」と聞いたら、「理由は言われへん」って答える。私が「不許可の理由言わんかい。それなら、裁判でぇへん、出廷拒否や」と返したら、警備隊が6人ほど部屋に来ましたわ。
佐高 6対1ですか?
川口 保安課長を入れたら、7対1ですわ。
佐高 (笑)。
川口 そのときは夏で、私はステテコをはいて部屋に座ってました。後ろの方から保安課長が「行けーーーーー」って叫んでますわ。そうしたら、警備隊が入ってきて私のことをバッと摑みかけた。そこで私が「コラー、これ(心臓)とめてから出せ」と言ったら、みんな固まってしもうて。保安課長が「連れ出せ、連れ出せ」と言うてるのに、誰も私に手をかけられない。もう裂帛の気合ですな。警備隊は諦めざるをえなかった。あとで警備隊全員が始末書を取られたって言うてました。
佐高 川口さんはお咎めなし?
川口 いやいや、懲罰になりましたよ。
佐高 懲罰房ということですか?
川口 はい。
佐高 懲罰房というのはもちろん独房ですよね。拘束されたりはしないんですか?
川口 それはない。わっぱかけられるときは、ケンカをしたときだけです。
佐高 雑居房で人がいた方が気がまぎれますか?
川口 同じ者と日々突合せてたら、やっぱりいろんなストレスはあるんちゃうかな。独居の方が、私は静かでいいです。
ハチミツが差入禁止に
佐高 差し入れは指定したりしましたか?
川口 許可が出たら、好きなものを買えますから。実は都島(大阪拘置所)にいたとき酒を作ったんですよ。
佐高 えっ!?
川口 それでハチミツの差し入れが不許可になったんです。
佐高 どうやって作ったんですか?
川口 夏場だったら、ハチミツに水を入れておけば発酵しますよ。そのときも刑務所の中で「なんや、これアルコールの匂いするやないか」となって。ハチミツを置いていたことをすっかり忘れてたんですよ。
佐高 それで禁止になった。あと、川口さんは獄中で本を手当たりしだいに読んだそうですね。
川口 ジタバタしても出してもらえないですから、学び舎を紹介された気持ちでいるしかないです。
佐高 川口さんと私がともに感銘を受けた本に、正延哲士さんの『最後の博徒 波谷守之の半生』がありますね。
ジャーナリストの山平重樹さんが川口さんのことを書いた本は、『闘いいまだ終わらず 現代浪華遊俠伝・川口和秀』というタイトルでしたけど、川口さんはずっと闘ってますか?
川口 官とはね。
佐高 川口さんは獄中者への支援もされているそうですね。
川口 獄中者のための冊子『獄同塾通信』を作って、その塾長も私が務めていたことがあります。
佐高 元刑務官の坂本敏夫さんという方が発行している『こうせい通信新聞』も興味深い。こちらは人生再建のための冊子です。つまり、刑務所から出たあとの行き場をちゃんとしないと再犯してしまうということですね。
川口 そうです。仕事がないから刑務所から出ても無銭飲食をしてしまう。それで「はい、逆戻り」っていう人間もおりますから。そういう現状を坂本さんが一番よく知ってます。
ヤクザは「衰退産業」
佐高 今、若い人でヤクザの世界に入ってくる人はいるんですか?
川口 いません。魅力ないです。第一ご飯が食べられないですから。
佐高 『ヤクザと憲法』にはナオトくんという新入りが出てましたね。
川口 異色でしょう。
佐高 かつては、行き場を失っている人たちにとって、一つのシェルターになっていました。でも今は、もっと行き場を失っている人がいるわけですね。
川口 私は岸和田の祭なんかは、ものすごいええ文化やと思うんですよ。世話人や若頭がおって、みんなを教育していく。その一つにだんじり祭というものがあって、町同士で競い合って、競争心を育てる。ええ文化やと思うんですよ。
今はマンションとかが多くなって、そういうのがありませんもん。横の付き合いが減っていってます。
佐高 自治がしっかりしていれば「官」がのさばることはないんですよ。
川口 そうだと思います。
佐高 そうするとヤクザはもう「衰退産業」ですか?
川口 もう衰退でしょうね。若い者が入らんことには、次の芽は出ません。だから、私のところなんかはよく残ってる方です。2000人ぐらいおったところも、今は50人くらいになってる組もあるらしいですよ。
佐高 祭みたいなものが廃れていくと、シノギがなくなっていくということですね。
川口 昔のヤクザは競馬とかで生計を立ててました。今は、パチンコ屋でも競輪でもみんな警察が天下ってますもの。
佐高 警察すなわち「官」がヤクザのシノギを奪っていったわけですね。
宮崎学が「世界で一番クリーンなのは北朝鮮だ。ヤクザがいないから。でも、そういう社会は正当な社会じゃない」と言ったことがあります。
川口 (笑)。本当にヤクザと共生できるような社会が一番ええですよ。やっぱりいろんな人間がいてこその世界やと思います。
2016年11月12日、金曜日にて
*佐高 信 / さたか まこと
1945年、山形県生まれ。評論家、本誌編集委員。近著に『安倍晋三への毒言毒語』(金曜日)、『自公政権お抱え知識人徹底批判』(河出書房新社)、『石原慎太郎への弔辞』(KKベストブック)など。
*川口 和秀 / かわぐち かずひで
1953年、大阪府生まれ。トータル30年近い受刑生活を送る。1978年、清勇会二代目を襲名。現在二代目東組副組長。中学2年の折、担任教師の明確な差別に反発し通学せず教室に放火。それを期に渡世入り。今に至る。
写真撮影/石郷友仁
構成/赤岩友香(編集部)
*注1
ホーリーアウトローシリーズ[1]『獄中閑 -我、木石にあらず-』として当社TAO LAB BOOKSより昨年夏に書籍化。
*川口会長と縁が深い犯罪者の更生事業をしている団体
●特定非営利活動法人こうせい舎
ノンフィクション作家で元刑務官の坂本敏夫さんが2012年に設立。犯罪・非行からの立ち直りを志した者への学びの場の提供と就労支援などを行なっている。
●日本青少年更生社
元山口組系組長・西山俊一さんが、犯罪者の更生支援事業をはじめるために2007年に創立。全寮制の更生・就労支援施設がある。