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本日の一枚
all the way
「リヴィング・レジェンド(生きた伝説)」 ジミー・スコット。
遺伝性のホルモン欠乏疾患で変声期を迎えないことから備わった"天使の歌声"で世界を魅了したアメリカのジャズ・バラード・シンガー。
『all the way』
Jimmy Scott
*吉岡正晴のソウル・サーチンより
ジミー・スコットは1925年(大正14年)7月17日オハイオ州クリーヴランド生まれ。幼少の頃にカルマン症候群という病気になり、そのため成長が止まり、声も声変わりせず少年のような声のまま大人になった。1940年代後期から、ジャズのライオネル・ハンプトン楽団のシンガーとなり、ライオネルのヒット「エヴリバディーズ・サムバディーズ・フール」などのヒットを放った。これはR&Bチャート入りも果たした。
当時彼は「リトル・ジミー・スコット」の芸名で活動。1963年、レイ・チャールズが持つタンジェリン・レコードと契約,『フォーリング・イン・ラヴ・イズ・ワンダフル』などの良質のアルバムを録音したが、それより以前にサヴォイ・レコードと結んだ「生涯の契約」のために、リリースが不可能になる。
ライヴでしか音楽活動ができなくなる不遇の日々を送り、結局、音楽業界からしばらく離れ、普通の昼間の仕事を20年ほどして生活を支えた。
1991年、友人のドック・ポーマス(1925年6月27日~1991年3月14日、ブルーズ・シンガー)の葬儀で歌ったところ、ルー・リードを始め多くの音楽人が彼に注目、新たに脚光を浴びることになった。人気テレビ・シリーズ『ツイン・ピークス』に出演したり、ワーナーとレコーディング契約を結んだり、ツアーに出たりするようになる。
*TAO Labより
大きな転機が訪れたのは67歳を迎えた1992年。その葬儀で歌った彼の姿をたまたまレコード会社の役員が見て、このアルバム『オール・ザ・ウェイ』を制作。これが世界的なヒットとなり、再びジミー・スコットをメイン・ステージへと呼び戻すことになったのです。