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ひのもとのふみ読むつきひ by 阿部幸子
Vol.2 『大西郷遺訓』 立雲頭山満先生講評
今年、平成30(2018)年のNHK大河ドラマは「西郷どん」。
ドラマはドラマ、しかし視聴者はそれをときに「史実」と混同しがちです。
江戸時代の教育がすばらしかったこと、明治になって道を踏み外したように思えること、さらに先の大戦後は輪をかけておかしくなっていることを思うと、明治維新とはなんだったのか、改めて問い直すには、とてもよいチャンスといえそうです。
ということで、2冊目は、この本。
『大西郷遺訓』立雲頭山満先生講評
『大西郷遺訓』出版委員会 編著 K&Kプレス 952円+税
西郷さんは、明治維新の立役者の一人ですが、複雑な性格の持ち主だったようで、わかりにくい人だったと思います。
これまで興味も関心もなかった私には、その人物像がよくわかりません。
残されている遺訓は、確かに、と思える内容ばかりです。
ですが、この本の面白いところは、なんといっても立雲先生(頭山満さん)の講評にあります。
なぜ、この本を手にしたかといえば、頭山満さんに関心を持ったからでしたが、この本を読んで、頭山満さんという「右翼」といわれた人物にさらなる興味が湧きました。
もし、西郷南州の遺訓を読まれるなら、ぜひ、こちらを、とお勧めしたいと思います。
一粒で二度美味しい、一冊で倍楽しめる本です。
【内容紹介+コメント】
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、御し難きものなり。然れども此の御し難き人にあらざれば、艱難を共にして国家の大業を計る可からず」で有名な西郷南州(隆盛)遺訓。
遺訓全編の講評を終えて、『西郷の心は是れ天の心じゃ』と一語の評を加えられたという頭山満(立雲)。
西郷の遺訓である「道は天地自然のものなれば、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始すべし」という信念を共有していました。
そんな立雲先生の講評を載せた、西郷遺訓です。
立雲先生が講話の中で、特に力をこめられたのは5つの点だったそうです。
1.少数の多数ということ。秀でたる一人の力は以て百万人にも値し、達徳の行為は万古不易である。
2.肉体は精神の奴隷である。
3.天は無形であって、天の形となって現れたものが人間である。
(ゆえに、南州翁が「人を相手にせず天を相手にせよ」といわれたのだ)
人は心掛け一つで必ず天と合一する大人格を作ることができる。
4.誠にして無欲なれば天下に敵なし。
5.己に悪いことは人に悪いことだ。己に害あることは人にも害あることだ。深くここを考えよ。
一方で『支那を道義の国に、立派に盛り立ててやらんければ、日本と支那とが親善になることはできぬ』というような発言も見られます。
アジア主義の根も、この辺にあるかもしれません。
立雲先生ならでは、と思える講評はたくさんありますが、たとえば政治家についての喝・・・
『政治家というものは、善いことをして飯を食っとるものじゃ。ところが近頃ザラにある政治家という手合は、善いことどころか、悪いことをして飯を食うもののようになってしもうた。大変な料簡(りょうけん)違いじゃ。自分らが悪いことをするくらいなら、まだいいとしても、先に人がしておいた善いことまでも、叩き壊してしまうようなことをしよるて。
政党内閣なんて言うて、ひとかど人民の為になるばしのごと吹聴(ふいちょう)しとるが、見たまえ、誰が人民の為になることをしたか。皆んな党利党勢で、己の党派の地盤ばかりしか考えておらぬ・・・・』
もうひとつ。
『"小人閑居して不善を為す"(つまらない人間が人目につかず一人でいると、よくないことをしがちである)と孔子様も言っておられるが、"果報は寝て待て"なんどとふざけている者に、果報が落ちてきたためしがない。要するに"無用の妄想"にすぎない。』
歴史において、一般に「右翼」と思われている頭山満さん、ご家族はさぞかし大変だったことと思いますが、資料を読めば読むほど「惚れてまうがな〜」と思わせるお方です。
東都一といわれる待合茶屋に散歩のついでに寄って以来、3年間も遊び続けていたというのも花街空前絶後の記録でしょう。
私心のなさは天下一品。
まさに、弱きを助け、強きをくじく義侠心とともに、ものすごく繊細で思いやり深く温かい人物だったのでは?
存在感が半端なく、だからこそ「巨人」といわれるのでしょう。
襟を正したくなります。
本棚に、頭山満さん関係の本が6冊も並びました。
【TAO Labより】
こちらもオススメです。
阿部幸子さん連載『日本のいまを考える』
この記事はこちらと連動しています。
『#51 頭山満と玄洋社 日本の正しい右翼と戦後。』