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獄中閑 -我、木石にあらず-
罪なき罪で獄中に二十二年。侠客・川口和秀の不屈の精神史。
叛骨とユーモア、ゆるしとおもいやりの軌跡。
してはならぬことをするのも罪だが、
しなければならないことをしないのはもっと罪である。
- 川口和秀 著
- 装丁:倉茂透
- 定価:2500円(税別)
- ISBN978-4-903916-02-6
- C0095 ¥2500E
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著者プロフィール
「苦しんで喜ぶか、苦しまずに喜ばず無味に安ずるか、激しく苦しんで強く喜ぶか、人々三様ですが、激しく苦しんで、強く喜べるものこそ大きく道も開けると存じます」
「不純を知る者こそ、真の純粋さにめざめるのやもしれません。不純なんてまったく知らず、純だけに培養されとる人は、本当の純粋さを果たして理解できるのでしょうか?」
「人間、憎むことだけでは生きていけません。愛情だけで生きていけないのと同じです。もちろん、掛け替えのないものを奪われたら、奪った人間を深く憎むことでしょう。しかし、憎むことは苦しみ続けることでもあり、心が腐るばかりです。」
昭和二十八(1953)年七月二十四日大阪府堺市生まれ。
大阪西成武闘派独立系の二代目東組副組長二代目清勇会会長である。15才の時にこの家業へ、23歳という若さで二代目襲名。平成元(1989)年、暴走した一組員が起こした事件をきっかけに共謀共同 正犯に仕立て上げられ逮捕。22年間の獄中生活を送る。
えん罪という不条理に直面しながらも支援者とともに獄中で同人誌 「獄同塾通信」を発行、話題となる。出所後も真実を求めて法廷闘争を続けながら、映画「ヤクザと憲法(東海TV制作)」や書籍「闘いいまだ終わらず(山平重樹 著)」 など独自の表現を続ける。
巧まざるユーモアのセンスと弱者への温かいまなざしで地元でも愛されている現代の俠客。
令和四(2022)年、春、堅気となる。
お天道さまの下、光浴びながら、正々堂々、威風凛凛、今後の活躍が楽しみなひとりである。
・1 解説 獄中閑 -我、木石にあらず-
・2 まえがき 獄中閑 -我、木石にあらず-
・3 あとがき 獄中閑 -我、木石にあらず-
・獄中からの感想頂きました。
写真はドキュメント「ヤクザと憲法」より
目次:
まえがき
第一部 遙かなるひよどり 神戸拘置所にて
薬害と役害
鳥なき里の蝙蝠
平成の監獄
貴公子・バロン川口タイに飛ぶ
"昆布屋"でんねん
"知恵も積もれば..."
タメ息、ムシの息
事故の顛末
異常なる"三竦み"
愛せよ、与えよ
三人威虎
OH!NO
六"感"清浄
丁半募志
第二部 リーバーサイドスピリッツ 大阪拘置所にて
移監ともしがたき諸事情ゆえ
可愛いやつら
学ばざれば則ち殆し
嗤わば嗤え
敢えて、要らぬ知恵づけを
房中閑あり
都島フレンドシップ
究極のブラックビジネス"ブロイカー"
ロングウェイ、ロングディスタンス
雪隠の火事
獄書の鉄人
第三部 極道交差点 府中刑務所にて
少年期の思い出
闘争への狼煙
伏魔殿にて燃ゆ
死線を彷徨う
星霜流転
忙中閑
処遇改善闘争の日々
一箪の食、一瓢の飲
追記
あとがき
解説 1つの日本精神 積 哲夫
書:川口和秀
* 川口和秀さんとの出会い1 *
2016年3月ポレポレ中野にて観た『ヤクザと憲法』が川口さんとの一方的な出会いだった。
ドキュメンタリーの内容もさることながら、なんといっても川口さんの面構えや言動、その漢っぷりにシビれ、やられ、感動、意識に刻まれた。この映画を観るようススメてくれたのは佐高信さんだった。佐高さんとはこの半年後、週刊金曜日で川口さんとの対談アレンジで御礼の実を結ぶことが出来た。
ネットの時代は有り難い。
映画鑑賞後、そんな川口さんのことを調べていたら、とても興味深いことを知った〜22年に及ぶ収監。それも無実にも関わらず?...その期間、獄中で雑誌に連載を何度かしていたのだ。それを読んでみたいと思った。
日本の常識は世界の非常識でもある。
そのひとつは海外だとマフィアと同じように思われているヤクザ。実は日本では彼らはアンダーグラウンドの存在ではなく、存在を認められてもいた。また、時代によっては街の治安や平和を守る役目もしていたのだ。
だから、ここがユニークなのだが、彼の組の住所をネットで調べることが出来るという日本での"事実"。会社と一緒なのだ。海外のマフィア組織宛に住所を調べ、突然手紙を送ることは出来ないのが、世界の常識だ。
ヤクザという存在を美化しているのではないことをあえてお伝えしておく。ヤクザ、というか暴力団およびその構成者という存在には一切興味がない。彼らはお金のために強きには媚を売り、弱きを脅し威嚇する。また、暴力団はもちろん、カタギであれ、そんな次元の"経済活動を目的"にしている生きかたは個人的にはダサいと思っている。
あらためて彼の人生を知ることにより、川口さんの面構えと生き様の元にある、ある種の"美しさ"を感じた。その美しさは「経済ヤクザ」「暴力団」ではなく、「任侠道」を歩んでいるからなのか?物心つくかつかないかの頃から観てシビれていた健さんの映画のような"任侠道を目的"に生きているヤクザなんてこの時代、居るのだろうか?この方はその世界でも珍しい存在なのだろうか?、と。
大きく感じると行動に移す私はネットで調べた住所に川口さん宛、拙い字と内容でその原稿を読みたいと手紙を送ってみた...川口和秀さんとの出会い2 につづく
「任侠」とは
任侠(にんきょう、任俠)とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語。現代的には右翼やヤクザと重複する面もあるが依拠する信念を違える。 また、ヤクザ史研究家の藤田五郎の著述によれば、正しい任侠精神とは正邪の分別と勧善懲悪にあるという。 仁侠(じんきょう)、義侠心(ぎきょうしん)、侠気(きょうき)、男気(おとこぎ)などともいう。
〜中略〜
戦前の日本の知識人や近年の国内外のヤクザ研究者のあいだでは、任侠道と武士道は同列のものであり、ヤクザは武士の倫理的継承者であるという言説が広く受け入れられている。杉浦重剛は日本人は生まれながらに大和魂を持つが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道だと述べたという。また、新渡戸稲造は明治32年に英文で著した『武士道』のなかで、武士道精神は男達(おとこだて)として知られる特定の階級に継承されていると述べている。近年では山浦嘉久が『士道と任侠道』において任侠道と武士道の精神的血縁を説いている。
〜wikipediaより引用